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豊橋駅とは?



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この項目では、JRおよび名鉄線の駅について説明しています。
 当駅前にある豊橋鉄道渥美線の駅については「新豊橋駅」をご覧ください。
 豊橋鉄道東田本線(市電)の停留場については「駅前停留場」をご覧ください。

豊橋駅*
東口遠景(2016年3月21日
とよはし Toyohashi
⇒『
旧豊橋駅ジオラマ(こども未来館
豊橋駅(とよはしえき)は、愛知県豊橋市花田町字西宿にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・名古屋鉄道(名鉄)のである。
本項目では関連の深い、飯田線・名鉄の旧駅「吉田駅」(1899年 - 1943年)についても触れる。

目次


 1 概要
 2 沿革
 2.1 開業までの経緯
 2.2 開業と発展
 2.3 愛知電気鉄道の乗り入れ
 2.4 戦災と復興
 2.5 戦後の展開
 2.6 JR発足後
 2.7 年表
 3 駅構造
 3.1 ホーム・配線
 3.1.1 在来線・名鉄線
 3.1.2 ギャラリー
 3.1.3 新幹線
 3.2 駅舎
 3.3 駅ビル
 3.4 配線図
 4 貨物の取り扱い
 4.1 豊橋オフレールステーション
 4.2 その他
 5 ダイヤ
 6 利用状況
 7 駅弁
 8 駅周辺
 8.1 東口
 8.2 南口
 8.3 西口(西駅)
 9 バス路線
 9.1 東口
 9.1.1 豊橋駅前(豊鉄バス)
 9.1.2 豊橋駅東口(高速バス)
 9.1.3 豊橋駅前(豊橋市かわきたバス「スマイル号」)
 9.2 西口
 10 隣の駅
 11 脚注
 11.1 注釈
 11.2 出典
 12 参考文献
 13 関連項目
 14 外部リンク
概要

愛知県東部、東三河地区の中心都市・豊橋市に位置し、その中心市街地に立地する駅である[1]
隣接する駅も含めて多数の鉄道路線が伸び、加えて路面電車路線バスなどの公共交通機関も集中しており、「東三河の交通拠点」として位置づけられている[1]
豊橋駅はJR東海・JR貨物・名鉄の3社が運営。
乗り入れる路線は、JR線は東海道新幹線東海道本線駅番号CA42)、豊橋駅を起点に辰野駅長野県)までを結ぶ飯田線(駅番号:CD00)、名鉄は豊橋駅を起点に名鉄岐阜駅岐阜県)に至る名古屋本線駅番号NH01)、計4路線である。
また、隣接する新豊橋駅からは三河田原駅までを結ぶ豊橋鉄道渥美線駅前停留場からは路面電車の豊橋鉄道東田本線の2路線がそれぞれ伸びている。
このうち愛知県の中心・名古屋市へは、JR東海道新幹線・東海道本線と名鉄名古屋本線の3路線が通じる。
この区間ではJR東海・名鉄の両社から各種特別企画乗車券が発売されており、激しいシェア争いが展開されている。
ただし豊橋駅は両社の「共同使用駅」であり、構内を共有している。
なお、2005年から誤乗を防ぐためか、名鉄線用の発車標は他の名鉄の駅では通常省略される「名鉄岐阜」「名鉄一宮」「名鉄名古屋」名鉄を省略せずに表示している。
貨物営業を担当するJR貨物は東海道本線と飯田線において第2種鉄道事業者として貨物列車を運転しているが、豊橋駅に停車する貨物列車は存在しない。
ただし、コンテナ取扱駅としての機能は豊橋オフレールステーションとして残存する。
駅の開業は1888年明治21年)。
当初からの東海道本線に加え1897年(明治30年)に飯田線、1927年昭和2年)に名鉄線が乗り入れ、1964年(昭和39年)に東海道新幹線が開通して現在の路線網ができあがった。
JRと名鉄の2社が運営する現在の体制になったのは1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によるものである。
同年3月15日まで国鉄二俣線の一部列車が東海道本線経由で直通運転していたが、開始時期は不明。
豊橋駅の事務管コードは、▲520135となっている[2]
沿革
開業までの経緯

豊橋駅は、1888年明治21年)9月1日に内閣鉄道院の路線の駅として開業した[3]
当時正式な路線名称は設定されておらず、1895年(明治28年)に「東海道線」の路線名称が与えられた。
 江戸時代から明治に変わって6年目の1872年(明治5年)、東京から横浜まで日本で最初の鉄道が開業した。1884年(明治17年)、東京と大阪を結ぶ幹線鉄道計画が決定(当初計画では本州内陸部の中山道ルートが構想されていた)。
2年後の1886年(明治19年)7月、東海道ルートに変更され、幹線鉄道の建設が開始された。
豊橋はこの東海道沿いに江戸時代からある吉田藩城下町宿場町吉田宿)で、豊川(とよがわ)の湊町としても栄えていた[4]
 愛知県下では1886年に知多半島で鉄道がすでに開通し、西へ向かって順次延伸されていた。
上記東海道ルートの決定後、東への延伸も開始。
1888年9月1日、大府駅から静岡県の浜松駅まで新たに開通し[5]、豊橋駅も同時に開業した。
なお、東京から神戸までの、東海道線にあたる鉄道の全通は翌1889年(明治22年)だった。
開業と発展

駅が開設された所在地は、豊橋町ではなく渥美郡花田村西宿だった[6]
当時の町の中心から西南に約600メートル離れた場所[7]とはいえ、駅の開業は豊橋が発展する契機になった[7]
駅前から市街地の上伝馬町まで停車場通り(後の常盤通)が建設された。
そのころ駅や通りの周囲には田畑が広がり、駅前には旅館3軒・貨物を扱う運送屋1軒という状態だった[8]
その後徐々に様相が変化し、駅周辺は新たな町の中心地として発展していった[7]
ちなみに、1906年(明治39年)、豊橋町が花田村を合併して名実ともに豊橋駅になった(その後市制を施行し豊橋市になった)。
1897年(明治30年)7月15日豊川駅まで、豊川鉄道という私鉄の路線が開通。
これは現在の飯田線の一部にあたる。
同社は元々、宝飯郡下地町(現・豊橋市、豊川(とよがわ)北側の地域)と豊川駅を結ぶ鉄道を計画していた[9]が、豊川に架橋して豊橋駅に接続した[10]
こうして豊橋駅を共用していたが、1899年(明治32年)に北側へ独立して「吉田駅」を開設した[11]
この吉田駅は大正末期に改築、階上に食堂を併設する、三角形の側壁を特徴とする鉄筋コンクリート造の建物になった[12]
1908年(明治41年)、市に隣接する高師村(現・豊橋市)に陸軍第15師団が設置された[13]
これを契機に市の玄関口の豊橋駅にも影響を与え、「市制施行以来、豊橋市を最も大きく変容させた」[13]と記録されている。
乗客や貨物が増加し、戦時における師団の移動の観点からも駅の拡張が希求された[14]1911年(明治44年)、駅拡張工事着工。1916年大正5年)、新駅舎完成[15]
開業時からの旧駅舎は建坪約45(150m2)の瓦葺き平屋建てだった[6]が、新駅舎は約145坪(480m2)の石磐葺平屋建てで、入り口には車寄せを設けた近代的な建物になった[16]
1920年代には、豊橋駅周辺に相次いで私鉄路線が加わった。1925年(大正14年)、市内に豊橋電気軌道(現・豊橋鉄道東田本線)の路面電車が開通、駅前に北側から乗り入れる駅前停留場を設置した。1927年(昭和2年)、渥美半島の田原とを結ぶ渥美電鉄(現・豊橋鉄道渥美線)が豊橋駅の400mほど南に新豊橋駅(初代。
現・花田信号所)を設置。
同年、愛知電気鉄道豊橋線(現・名鉄名古屋本線)が豊川鉄道の吉田駅へ乗り入れて全通した(後述)。
1927年(昭和2年)、鐵道省豊橋駅も再度の駅舎改築。1929年(昭和4年)、西口が新設された[17]
愛知電気鉄道の乗り入れ
⇒『
昭和初期の絵葉書「豊橋驛及吉田驛」
名鉄の前身にあたる愛知電気鉄道(以下愛電)は、1927年6月1日より吉田駅に乗り入れたが、以下のような経緯による。
1912年(明治45年)、愛電は知多半島西部で路線(現・常滑線)を開通させた。1917年(大正6年)、起点の神宮前駅名古屋市)より東へ路線を延ばし始めた[18]1923年(大正12年)、東岡崎駅岡崎市)へ到達。1926年(大正15年)、豊川鉄道小坂井駅(豊川鉄道吉田駅から当時2つ目の駅)に乗り入れた。
豊橋方面へは、愛電が小坂井駅南方に伊奈駅 - 吉田駅までの単線を新設の上で既存の豊川鉄道線の単線と合わせて複線として両社共用する方式をとり、新線が1927年6月1日に開通し吉田駅乗り入れを果たして[19]、愛電豊橋線・神宮前-吉田間の全通となった。
全通した豊橋線には高速運転をする特急列車や急行列車が新設され、その所要時間は特急63分・急行72分と同区間の鉄道省東海道線に比して40-50分早い高速運転を実施した。
さらに1930年(昭和5年)からは「超特急あさひ」が1往復新設され、神宮前-吉田間を57分で結んだ。
このような愛電の優位により、短期間で乗客が東海道線から愛電に流れた[20]
1935年(昭和10年)、愛電は名岐鉄道と合併、名古屋鉄道になった。
太平洋戦争中の1943年(昭和18年)、豊川鉄道の路線は国有化され、国鉄飯田線の一部となった。
これに伴い吉田駅は豊橋駅に併合され[21]、吉田駅を共同使用していた名鉄も豊橋駅への乗り入れ・国鉄との共同使用へと変更された[22]
同様に線路の共用複線は、買収を経た国鉄と直接的なライバル関係になったものの解消はされず、JRになった現在でも継続して行われている。
戦災と復興

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月19日夜、豊橋の街はアメリカ軍によって空襲された(豊橋空襲)。
市街地の約90%が焼失する被害を受け[23]、豊橋駅も機関区と配電室を除いて被災[24]、駅舎は全焼した。
東海道本線が平常運転に復するのに1週間を要し、駅の一般乗降客の取り扱い再開は7月20日だった[24]
飯田線は6月22日に、名鉄線は翌23日に再開した[24]
空襲後、駅舎は東海道本線側はバラックで営業を続け[25]、飯田線・名鉄線側(旧吉田駅)についてはコンクリート壁だけが焼け残った残骸のまま使用されていた[26][27])。
空襲から5年後の1950年(昭和25年)、新駅舎が再建された[28]
この駅舎は、国鉄以外の企業・自治体などが駅舎の改築工事費を分担し、竣工後に一部を商業施設などに使用する「民衆駅」の第1号として有名である[29]
木造2階建て・建坪560坪(1850m2)で、1階に飲食店理髪店・雑貨店など民間の商業施設が、2階には市民出資の「豊栄百貨店」が入居した[30]
同時期に、駅前広場の拡張も実施された。
従来の広場面積は4,000m2を拡張して18,600m2とした。
広場には、防火用水と広場の美化を目的に噴水も設置された[31]
戦後の展開
⇒『
1970年改築の5代目駅舎(1992年撮影)
1953年(昭和28年)、東海道本線の電化区間が豊橋駅を経て名古屋駅まで到達した。
これにあわせて東京駅大阪駅を結ぶ特急「はと」が豊橋駅への停車を開始した[32]
一方名鉄は1948年(昭和23年)、名岐線と豊橋線を一体化して豊橋駅と新岐阜駅(岐阜県岐阜市、現・名鉄岐阜駅)を結ぶ「名古屋本線」と改称した。
伴って豊橋と岐阜を結ぶ直通列車の運転が開始[33]
1964年(昭和39年)10月1日東海道新幹線が東京駅から新大阪駅まで開通。
このとき、豊橋駅にも新幹線の駅が新設された[34]
新幹線駅が建設された豊橋駅西口は鉄筋コンクリート造2階建ての橋上駅舎に改築された[35][29]
その後新幹線の開通と東三河地域の工業開発により乗降客数のさらなる増加が見込まれ、駅舎の改築が開始[36][注釈 1]
改築に先立ち、初代民衆駅2階にあった「豊栄百貨店」は1968年(昭和43年)に駅東口に新ビルを建て地下1階・地上7階建ての「シャルマン豊栄」として移転した。
しかし2年後に火災が発生、営業を休止している。
1970年(昭和45年)、完成された新駅舎は、地下1階・地上3階建て[36]、鉄筋コンクリート造の駅ビルとして開業した[37]
駅ビル「豊橋ステーションビル」は100余りの店舗が入居する商業施設を兼ねており、運営会社として豊橋市も出資する豊橋ステーションビル株式会社が設立された[36]
また、駅ビル建設と平行して市は駅前の整備にも着手。
駅前の混雑解消と歩行者・車両の分離を図り、1976年(昭和51年)までに東口コンコースと駅前街区などを結ぶ地下道と、西口と東口を結ぶ東西連絡地下道からなる、総延長約700mの地下道を完成させた[36]
JR発足後

1987年(昭和62年)、国鉄の分割・民営化により国鉄豊橋駅の旅客営業はJR東海に、貨物営業はJR貨物に継承された。
豊橋駅のJR発足後の大きな事業として、駅ビルの再度の改築がある。
JR東海は会社発足当時から、1970年の建築から20数年を経て陳腐化した駅ビルのリニューアルを計画していた。
豊橋市側でも東西自由通路を整備し駅周辺の活性化を図る計画があり、1990年平成2年)にJR東海と市は駅ビルリニューアル・自由通路整備等の推進で合意、東西自由通路・橋上駅舎・東口駅前広場の整備と駅ビル増改築からなる「豊橋駅総合開発事業」が進められることになった。1994年(平成6年)に本体工事に着手、市政90周年に合わせた1996年(平成8年)、まず第1段階として自由通路と橋上駅舎が完成。
第2段階として1997年(平成9年)までに商業施設とホテルからなる駅ビルが開業した[29][38]
駅ビルは既存ビルに2層増築して5階建てのビルとし、その線路側に13階建てのホテル棟を新築して延べ床面積を従来の4倍にあたる約40,000m2とした[38]
東口駅前広場の整備は1998年(平成10年)に完成。
約5,000m2ペデストリアンデッキが整備され、デッキ下の1階部分にはバスタクシー・路面電車といった公共交通機関のターミナル機能が集約された。
このうち路面電車については軌道が約150m延伸され、駅に直結する形となった[39]
続いて2004年(平成16年)から、東口南側の地域において再開発事業が開始された。
駅近くにありながら東海道本線と豊橋鉄道渥美線に挟まれているため低未利用地だった(それまで駐車場として使用されていた)貨物駅・操車場跡地を再開発する事業である[40][41]2008年(平成20年)3月に新豊橋駅との乗り換え距離を短縮する南口自由連絡通路が整備され[41]、6月に渥美線新豊橋駅の移設が完成、低未利用地の活用と渥美線との乗り換え利便性向上が達成された。
年表

 1888年(明治21年)9月1日:官設鉄道の駅として、豊橋駅開業[3]
 1897年(明治30年)7月15日豊川鉄道が豊川駅まで開通、同鉄道の豊橋駅開設[21][42]
 1899年(明治32年)12月11日:豊川鉄道の豊橋駅が吉田駅に改称[21]
 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。
豊橋駅を通る官設鉄道線を東海道本線と命名。
 1916年(大正5年)7月10日:駅舎を改築、新駅舎使用開始[43]
 1925年(大正14年)7月14日:駅前に、豊橋電気軌道(現・豊橋鉄道東田本線)の駅前停留場が開業。
 1927年(昭和2年)
 5月27日:駅舎を改築[17]
 6月1日:吉田駅に、愛知電気鉄道豊橋線が乗り入れ。
 10月1日:駅南南東に、渥美電鉄(現・豊橋鉄道渥美線)の新豊橋駅が開業。
 1929年(昭和4年)4月21日:西口を開設[17]
 1935年(昭和10年)8月1日:愛知電気鉄道が合併で名古屋鉄道(名鉄)になる。
 1936年(昭和11年)12月1日:二俣西線 新所原-三ヶ日間 (12.1km) 開業。
(豊橋駅乗り入れ開始時期は不明)
 1943年(昭和18年)8月1日:豊川鉄道が国有化され飯田線となる[21]
あわせて吉田駅を豊橋駅に統合[21]、豊橋駅は国有鉄道と名鉄の共同使用駅となる。
 1945年(昭和20年)6月20日:空襲で駅全焼[44]
 1946年(昭和21年)2月1日:西口の営業を再開[44]
 1948年(昭和23年)5月16日:名鉄豊橋線、名古屋本線に改称。
 1950年(昭和25年)3月14日:「民衆駅」の新駅舎が竣工。3月30日に国鉄総裁加賀山之雄臨席で竣工式を挙行、4月1日より駅舎開業[28]
 1953年(昭和28年)7月21日:東海道本線の浜松駅から名古屋駅まで電化。
この日から特急「はと」が豊橋駅に停車を開始[32]
 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開通、新幹線停車駅となる[34]
 1970年(昭和45年)7月1日:新駅舎「豊橋ステーションビル」が営業開始[36]
 1986年(昭和61年)11月1日荷物の取り扱いを廃止[3]
 1987年(昭和62年)
 3月15日:国鉄二俣線の廃止に伴い9・10番線ホームが廃止される。
 4月1日国鉄分割民営化により、国鉄豊橋駅は東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)が継承[3]
 1996年(平成8年)9月16日:橋上駅舎・東西自由通路の使用を開始[29]
 1997年(平成9年)
 3月9日:駅ビルの商業施設「カルミア」が開業[38]
 6月11日:駅ビルのホテル「ホテルアソシア豊橋」が開業[38]
⇒『
豊橋駅東口サークルプラザ
 1998年(平成10年)
 2月18日:新幹線改札口に自動改札機を導入[45]
 2月19日:駅前停留場が東口駅前広場のペデストリアンデッキ下(現在地)に設置。
 3月:ペデストリアンデッキ、豊橋駅東口サークルプラザ新設など東口駅前広場の整備が完成[39]
 10月3日:JR貨物、豊橋駅を「自動車代行駅」に指定。
コンテナ貨物列車の設定廃止[46]
 2003年(平成15年)10月1日:新幹線ダイヤ改正で「ひかり」停車本数増加(1日上下6本から16本へ)[47]
 2005年(平成17年)6月25日:名鉄においてトランパスが利用可能に(2012年(平成24年)2月29日をもってサービス終了[48])。
 2006年(平成18年)11月25日:JR東海においてICカードTOICA」の利用が可能となる。
 2008年(平成20年)3月11日:南口自由連絡通路を新設[49]
 2011年(平成23年)2月11日:名鉄においてICカードmanaca」の利用が可能となる。
 2012年(平成24年)4月21日:TOICA・manaca相互利用が可能となる。
飯田線・名鉄線ホーム(1・2・3番線)にはJR←→名鉄の乗り換え用簡易改札機が設置された。
 2015年(平成27年)8月7日:在来線改札内の「駅ナカ」化による第1号店として「ベルマート豊橋店」がオープン。
10月には「成城石井」や「ミニプラ」など4店舗が、12月には「PRONTO」などが入る「フードテラス」がオープンした[50]
 2017年(平成29年)
 8月:在来線有人改札をガラス張りのウォークインタイプに改装[51]
 10月5日:飯田線用の整理券精算機(整理券読み取り機能付き運賃箱レシップ製)を設置[51][52][53][54]
駅構造
ホーム・配線

豊橋駅のホームは、大きく分けて東側にJRの在来線(東海道本線・飯田線)と名鉄線のホームが、西側に新幹線のホームが配置されている。
新幹線の駅は高架駅である例が多いが、豊橋駅は地上駅で、在来線のみならず新幹線も線路やホームがほぼ地平レベルに存在する。
東海道新幹線の地上駅は、品川・米原と豊橋のみである。
駅の前後は高架線なのに、豊橋駅周辺だけが地上に降りているのは、駅のすぐ北側(新大阪方)に県道388号線の城海津(しろかいづ)跨線橋があるため。[55]

在来線・名鉄線

在来線・名鉄線のホームは計5面8線[55]
ホームの形状は、片側のみに線路が接する単式ホーム(1面1線)、両側に線路が接する島式ホーム(2面4線)、そしてホームの端が同一平面で繋がった頭端式ホーム(櫛形ホーム・2面3線)が混在する[55]
ホーム番号は東側を起点に1番線から8番線まであり、頭端式ホームの3線が1・2・3番線、単式ホームの1線が4番線、島式ホームの4線が5・6・7・8番線である[55]
頭端式ホームは4番線の単式ホームの北側を切り欠いた形で、同一平面上で移動が可能である[55]
1-4番線は他のホームより有効長が短い(1,2,4番線がJR線6両、3番線が名鉄線8両にそれぞれ対応)。
1・2番線に飯田線の列車が、3番線に名鉄線の列車が発着し、4-8番線には東海道本線の列車が発着する[55]
ただし、使用頻度はごくわずかだが4番線も飯田線の列車が使用する[55]
飯田線の列車が1・2番線に入線中に名鉄線の列車の出発は可能だが、名鉄線の列車の入線中に1・2番線の飯田線の列車の出発または飯田線の列車が出発中に名鉄線の列車の入線は不可となっている。
東海道本線は上り、下り列車ともに4~8番線の各線から出発はできるが、入線は上り列車が4~6番線、下り列車が7・8番線に限られる。
このため、浜松方面から飯田線に乗り入れる列車が設定される場合は、豊橋駅停車後、西小坂井駅まで引き上げられ、西小坂井駅留置線で方向転換ののち4番線に再入線する。
現在でも飯田線の特急「伊那路」に使用される373系電車は浜松駅から普通列車または回送列車として豊橋駅まで送り込まれるが、この際にも豊橋駅下り線に入線したのち、上述の経路で豊橋運輸区まで転線を余儀なくされている。
かつて、静岡地区を拠点にジョイフルトレインゆうゆう東海」や急行形電車を使用した飯田線直通運転の臨時観光列車が頻繁に運行された時期があるが、この際には多くの場合、乗客を乗せたまま豊橋-西小坂井間を往復していた。
この転線措置は東海道本線浜松方面から飯田線に乗り入れる場合にのみ行われているものであり、飯田線から東海道本線上り方向に直通する場合、あるいは名古屋方面と飯田線との相互間の直通運転に際してはこのような転線措置は不要であるため行われない。
ホームの使用状況を表で示すと以下のとおりである。
豊橋駅在来線プラットホーム
番線路線方向行先
1CD 飯田線下り豊川飯田方面[注釈 2]
2
3NH 名古屋本線東岡崎名鉄名古屋方面[56]
4CD 飯田線豊川・飯田方面
CA 東海道本線岡崎名古屋方面[注釈 2]
5 - 8
上り浜松静岡方面[注釈 2]

注目の情報

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