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相合町とは?



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壬生(みぶ)は京都市中京区の地名。
地名はかつて、湿地帯であったことに由来する。平安京造営の際に開発されたが衰退し、元の湿地帯に戻った。朱雀院跡がNISSHA本社の敷地から発掘されている。
中世以後、この地に壬生寺が建立され、寺の東側周辺は門前町と集落として形成された(西側はほとんどが田畑であった)。
さらに文明年間には壬生構という囲いが作られていた(晴富宿禰記)。
寺の境内には水茶屋が設けられ、後に花街として発展した。
近世にも京都西郊の村落として、享保14年(1729年)段階では村高1,244石余、35の領主が存在した(山口(泰)家文書)。江戸時代末期、新撰組が現在建物が残っている八木邸に滞在していた。
また元治元年には1万3800坪におよぶ細川家の藩邸が坊門高辻に設けられている(南部(彰)家文書)。
一方、花街としての壬生は京都市左京区の川端二条に存在した二条新地の出稼ぎ地として許可され、明治を迎えたが機能せず、1880年明治13年)に消滅した。
明治22年の市制町村制により壬生村、西ノ京村、聚楽廻の各村とともに葛野郡朱雀野村の一部となった。
また、西高瀬川の開通により木材流通の拠点となった。
戦前までは壬生寺の西側は田畑が多く残っており、江戸時代の「拾遺都名所図会 巻之一 平安城51頁:壬生隼社」(現代で言う所の絵解き京都観光ガイドブック)にも登場する壬生菜の産地として名を馳せていたが、現在は開発が進み完全に市街地と化して田畑は全く残っていない。
現在、壬生菜の生産は郊外の畑で行われている。
(壬生から見て西南方向の西院(西大路五条以西)では今でもわずかに田畑が残る)
現在、中京区の四条大宮から西大路通にかけての一部が壬生の名を冠する。
住宅地としても近くには西新道商店街があり、また、新撰組ゆかりの観光地として賑わっている。
2007年までは京都市交通局の所在地でもあり、京都市電トロリーバス京都市営バスの車庫(操車場)として機能していた。
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