田子ノ浦部屋_(2000-2012)の解説頁です。 Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>田子ノ浦部屋_(2000-2012)>田子ノ浦部屋_(2000-2012)の1ページ目

田子ノ浦部屋_(2000-2012)とは?



ウィキペディア
田子ノ浦部屋(たごのうらべや)は、かつて日本相撲協会に所属していた相撲部屋
現存する同名の部屋とは、系統的なつながりはない。
目次

 1 歴史
 2 最終所在地
 3 師匠
 4 閉鎖時点の所属力士
 4.1 春日野部屋へ移籍
 4.2 出羽海部屋へ移籍
 5 脚注
歴史

1998年(平成10年)9月場所限りで引退して準年寄・久島海として出羽海部屋の部屋付き親方となった後、1999年8月に年寄・田子ノ浦を襲名した14代田子ノ浦(元幕内・久島海)が、2000年2月1日付で出羽海部屋から分家独立してさいたま市に田子ノ浦部屋を創設した。
2003年12月には東京都江東区へ部屋を移転した。
所属力士の四股名には、当初は師匠の現役時の四股名から1字取って「久」という字がよく使用されていたが、後年は師匠の故郷である和歌山県の海の色に因む「碧」(あお)という字を使用するようになった。
2011年7月場所にはブルガリア出身の碧山が新十両へ昇進し、部屋史上初となる関取が誕生して、その後のさらなる弟子育成も期待されていた。
しかし、2012年2月13日に師匠である14代田子ノ浦が急逝し[1]、後継者の資格を有する部屋付きの親方もいなかったため、田子ノ浦部屋は閉鎖された。
残された8人の弟子たちは、同じ出羽海一門に所属する出羽海部屋(5人)と春日野部屋(3人)に分割移籍した。
同じ部屋の所属力士が2つの部屋に分かれて移籍する例は戦後初のこととなった。
なお、力士たちの移籍する部屋が2つに分かれたのは、各人の希望を尊重した結果であるという[2]
楽に探せる!楽ワード

ページ(1/11)
次ページ

ページTOP▲
Weblio辞書辞典
「田子ノ浦部屋_(2000-2012)」の記述に関する著作権




ランダム表示|登録辞書一覧
Weblio辞書辞典

お気に入りに登録
友達にも教える

Weblio辞書辞典|ヘルプ|お問合せ
©2019Weblio