徳川吉宗の解説頁です。 Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>徳川吉宗>徳川吉宗の2ページ目

徳川吉宗とは?




第7代将軍・徳川家継の死により秀忠の男系子孫である徳川将軍家の血脈が途絶えると、6代将軍家宣の正室・天英院の指名により御三家出身では初の養子として宗家を相続し、江戸幕府の第8代将軍に就任した。
紀州藩主時代の藩政を幕政に反映させ、将軍家宣時代の正徳の治を改める幕政改革を実施。
幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、市民の意見を取り入れるための目安箱の設置などの享保の改革を実行した。徳川家重に将軍の座を譲った後も大御所として権力を維持し、財政に直結する米相場を中心に改革を続行していたことから米将軍(八十八将軍)と呼ばれた。
この幕府改革で破綻しかけていた財政の復興などをしたことから中興の祖と呼ばれる。
年貢率を引き上げるなど農民を苦しめた上で成り立った改革だったため、百姓一揆の頻発を招いた。
また、庶民にも倹約を強いたため、景気は悪化し、文化は停滞した。

目次


 1 生涯
 1.1 出生
 1.2 越前葛野藩主
 1.3 紀州藩主
 1.4 8代将軍就任
 1.5 享保の改革
 1.6 大御所
 2 趣味・嗜好
 3 政策・信条
 3.1 方針
 3.2 倹約
 3.3 経済
 3.4 保安
 4 年表
 5 系譜
 6 偏諱を受けた人物
 7 その他
 8 脚注
 8.1 注釈
 8.2 出典
 9 関連項目
 10 関連作品
生涯

※ 日付は、旧暦表示。
出生

貞享元年(1684年)10月21日、徳川御三家紀州藩2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる[注釈 1]
次兄は早世しているため三男と数えられることもある。
注目の情報

ページ(2/32)
≪前ページ | 次ページ

ページTOP▲
「徳川吉宗」の1ページ目
Weblio辞書辞典
「徳川吉宗」の記述に関する著作権




ランダム表示|登録辞書一覧
Weblio辞書辞典

お気に入りに登録
友達にも教える

Weblio辞書辞典|ヘルプ|お問合せ
©2020Weblio