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康暦の政変とは?




義満はこの政変の後、将軍直轄の軍事力である奉公衆を整備し、元中6年/康応元年(1389年)に土岐頼康の甥康行を追討(土岐康行の乱)、元中8年/明徳2年の明徳の乱においては山名氏を討伐、応永2年(1395年)に九州探題今川了俊を罷免、応永6年(1399年)の応永の乱においては大内義弘を追討して有力守護を弱体化させ、幕府の支配体制を固めていく。

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脚注
^ 『空華日工集』康暦2年2月13・19・21日及び3月3日の各条^ 小国浩寿「鎌倉府北関東支配の形成」(『鎌倉府体制と東国』吉川弘文館、2001年)

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参考文献

 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典 5 け - こほ』吉川弘文館、1985年。
 桜井英治『日本の歴史12 室町人の精神』講談社、2001年。

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関連項目

 日本史の出来事一覧


(出典:Wikipedia 2016/05/26 07:31 UTC 版)

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