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康暦の政変とは?



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康暦の政変(こうりゃくのせいへん)は、南北朝時代天授5年/康暦元年(1379年)に室町幕府管領細川頼之が失脚した政変である。

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 1 概要
 1.1 背景
 1.2 反頼之派の蜂起
 1.3 守護改替
 2 政変後の状況
 3 脚注
 4 参考文献
 5 関連項目

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概要
背景

室町幕府2代将軍足利義詮の頃には守護同士が対立し、執事細川清氏などは失脚した後に南朝に属して京都を奪還するなど幕政は不安定な状態にあった。
清氏失脚後には斯波高経義将父子が政権を持つが、佐々木道誉との対立などから貞治の変で失脚する。
義詮死去の直前には四国中国地方で南朝側と戦っていた細川頼之が道誉など反斯波派の支持を得て管領に就任する。
頼之は義詮の子で幼少の3代将軍足利義満を補佐し、半済令の試行(応安大法)や南朝との交渉、九州探題今川了俊の任命・九州派遣などの政策を実施するが、旧仏教勢力の比叡山と新興禅宗南禅寺との対立においては南禅寺派を支持していたため比叡山と対立し、比叡山の強訴に屈服、南禅寺の住職春屋妙葩が隠棲して抗議するなど宗教勢力とも対立していた。
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