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平家の落人とは?




目次

 1 平家の落人とは
 2 平家の隠れ里
 2.1 近親婚
 3 日本全国の平家の落人伝説
 3.1 東北地方
 3.2 関東地方
 3.3 中部地方
 3.4 近畿地方
 3.5 中国地方
 3.6 四国地方
 3.7 九州地方
 4 資料館
 5 文献情報
 6 脚注
 7 関連項目
 8 外部リンク
平家の落人とは

今日、日本各地において平家の落人伝説が伝承されている。
そもそも平家の落人とは、源氏平家とが雌雄を決した源平合戦で一ノ谷の戦い屋島の戦い壇ノ浦の戦いにおいて平家方が連戦連敗を繰り返した中で発生した平家方の難民であり、残党の追捕から逃れた者が落人となって各地に潜んだことから様々な伝承が伝えられるようになった。
武士に限っては平家の落武者と呼ぶ場合もあるが、落ち延びたのは武士だけではないことから平家の落人という言われ方をすることの方が比較的多い。
そうした平家の落人が潜んだ地域を平家谷、平家塚、平家の隠れ里、平家の落人の里などという。
平家の落人伝承にある誤解としてよくあるのが、平家の落人の末裔が即ち平家一門の末裔であるという混同である。
確かに平家一門が落ち延びたという伝承も少なくはないが、平家の落人という概念が形容するものは「平家方に与して落ち延びた者」であり、平家の郎党の場合もあれば、平家方に味方した武士の例もあった。
中には、創作や脚色された信憑性の薄い伝承や誤伝に基づく話もある。
戦において落人が発生することは珍しくはなく、平家の場合も例外ではないが、該当する家系と姻戚関係となった間接的な血筋までも平家の落人を称する場合があり、口伝を基本とする平家の落人伝承が誤伝したり曖昧になりやすい側面もある。
後に平家の残党が起こした三日平氏の乱やかつての平家方城助職の起こした謀叛などをみても、平家の落人が存在した事自体は間違いないが、元々が逃亡、潜伏した者であるため、歴史学的に客観的な検証が可能なものは少ない。
学界で平家落人を研究したのは柳田國男松永伍一角田文衛らであるが、証拠があまりにも少なすぎるために推測を交えざるをえないことから、学者の間でも説が食い違うことはよくある。
以下の平家落人集落の比定でも、ある学者は平家の落人の存在を肯定するが、別の学者が否定しているケースも少なからず存在している。
例えば柳田が全否定した沖縄の南走平家については、大川純一ら、沖縄の郷土史家の間では肯定的な意見が強い。
角田が肯定した対馬宗家の平家末裔説も、他の学者は否定的である。
といった具合である。
問題をややこしくしているのが、柳田や松永が指摘している平家落人伝説捏造説である。
例えば、ある地方の平家伝説は安土桃山時代に突然発生するのである。
柳田の調査によれば、この時期に近江の木地師集団が領主から命じられてその地域に入植している。
木地師は木地師文書と呼ばれる、自己の正統性を主張するための宣伝文書を創作するのに長けた人々であった。
木地師はその土地に伝わっていた話を元に、平家物語等に依って平家落人伝説を捏造したのではないかと柳田は考察している。
これらの後世の捏造文書が非常に真実の探求を妨げているのである。[1]
平家の隠れ里

平家の落人は大抵、山の奥深くや離れ島や孤島などに存在している。
そのため、平家は人口が少ないところや山間部や谷間など人がよりがたい所に里を築く。
食器や生活用品を洗ったりする時に川に誤って流してしまったり山中に落としてしまったりで外部の人間にきづかれたりすることがある。
ただし、気づくのはごく少数であり、平家の落人の隠れ里にいけるのも少数である。
こういった場合、再度隠れ里に行くことができなかったり川上から漆塗りの器が流れてきたりすることから隠れ里自体を妖怪化して考えることがある。
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