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ナイラ_(オーバーフランケン)とは?




1454年、ナイラは、ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯ヨハン4世によって都市権を授けられた。
この時、現在の紋章が作られた。
紋章の図柄:左半分は、黒と銀の四分割の市松模様。
右半分は、赤地に緑の地面、2本の緑の樹木の間に、緑の木の葉の冠と緑の木の葉の腰巻きをつけた野人が立っており、右手で金色の棍棒を振っている。

野人は、歴史家によれば、鉱業の象徴であるという。
黒と銀はホーエンツォレルン家(後のブランデンブルク家)のシンボルである。1819年に黒からバイエルンを象徴する青に変更されたが、20世紀の初めに元に戻された。
鉱業の発達

1471年に、ナイラに鉱山管理所が設けられという記録がある。
鉱業生産についてはそれ以前から記述があり、1471年は、それが産業として運営開始されたことを確実に証明できる年ということになる。
これ以後、ナイラの産業は農業主体から鉱業主体へとシフトして行く。
同じ年の10月5日にはバンベルク司教ゲオルクからヴィルヘルム・フォン・ヴィルデンシュタインに、領主権が移譲された。15世紀には鉱業、冶金業が最盛期を迎える。
様々な坑道が開発され、鉱、鉱は18世紀になって掘り尽くされた。
1632年から1634年にかけてナイラは三十年戦争の戦場となり、何度も攻撃を受け焼き払われた。
この損害から経済的復興に向けて鉱山整備を行うための鉱山監督局が1683年に創設された。1716年には142軒の家と8つのツンフトが記録されている。
1740年代には、ナイラは再び鉱業生産のピークを迎えた。1765年にゼルビッツ川に大理石の橋が架けられるなど裕福な経済状況がうかがわれる。
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