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MC.202_(航空機)とは?





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戦歴と改良

最初期の生産バッチであるマッキ社製のセリエII、セリエIIIは1941年7月から引渡しが始まった。
最初に配備されたのは、第一次大戦のエース、F.バラッカの名を冠する第4ストルモ(航空団)の第9グルッポ(航空群)であった。
当時部隊は北アフリカですでに参戦していたが、装備する旧式機ではイギリス空軍に対抗できず、一線はドイツ空軍に任せ、シュツーカや輸送機の護衛、拠点防衛などの二次的な任務に甘んじていた。
第9グルッポは夏の間、本国で転換訓練と初期不良の洗い出しを行った後、9月末にシチリア戦線で実戦に投入された。
MC.202による初撃墜は9月30日、相手はハリケーンであった。
ただ、この戦闘機の出現に対する連合国の対応も早かった。
アフリカ方面には熱帯地仕様のスピットファイアや新型のP-47が出現し、更に戦局が次第に劣勢になるとアフリカからイタリア本土へB-17B-24といった大型爆撃機が飛来してくるようになった。
フォルゴーレの武装は前身のサエッタと同じ12.7mm機関銃2挺に加え、主翼に7.7mmが2挺が増えた程度で、しかもその主翼の7.7mmも生産後半になるまで未装備であり、火力不足が指摘された。
後に翼下に装着する20mm機関砲パックが開発されテストされたものの、飛行性能の低下が嫌われて、実戦には使用されなかった。
それでもフォルゴーレは戦闘機としては非常に優れた性能を発揮し、連合国の戦闘機と互角の戦いを見せた。
その喪失機の大部分は地上で撃破されたものである。
生産開始から約1年、1942年春から生産されたセリエVII以降は、風防前面に防弾ガラスを装着するようになった。
また、後期の生産期では、胴体下にあったベンチュリー管を右側面に移動、さらにその後、翼下に増槽あるいは爆弾を懸架できるようにした。
1機のフォルゴーレが、胴体下のラジエータを機首下に移動、オイルクーラーとまとめる改修を受け、MC.202Dの形式名を受けたが、さほどの性能向上は認められず、生産には移されなかった。
後にはより高出力のDB605をライセンス生産したRA1050RC58を搭載したMC.205ベルトロが出現し、カストルディの開発した一連の戦闘機の決定版となった。
フォルゴーレは最終的に1301機(一説には1500機あまり)が生産され、文字通りイタリア空軍の主力戦闘機となった。
イタリア降伏時には100機あまりが残存し、これらはファシスト側のサロ政権下の共和国空軍及びドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)、また連合側のイタリア共同交戦空軍 (⇒『イタリア語』)で使用された。
大戦終結後もしばらくイタリア国内で主として練習機として使用された他、エジプトにも輸出された。
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