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10.8とは?
2008年10月9日付河北新報[45]は、上記2008年の試合について、「巨人にとって10月8日は(中略)記念日だ。
『10.8』を選手として戦った原監督は、その日にマジックナンバー『2』を点灯させた」と報じた。
さらに、その記事を東北楽天ゴールデンイーグルスに関するコラムと隣り合わせにし、そこでは、「"前身"の近鉄の最終戦の話をしたい。
(中略)1988年の『10.19の悲劇』」とし、10.19と並ぶ記事配列とした。
スポーツ紙は、上記のとおり、ニッカン、スポニチ等各紙が、同年10月8日付または10月9日付の新聞で、10.8決戦の概要を紹介した。
「10.8決戦」という言葉は、本項目で引用している10月8日 - 9日付の新聞にはほとんど見られない。
試合後しばらくして刊行された週刊ベースボール1994年11月14日号(小森哲也を顕著な形で取り上げた記事)[46]に使用例が見られるが、定着したと言える状態になった時期は必ずしも明確ではない。
2004年に発行された『プロ野球70年史』「歴史編」p.620以下でも「10.8決戦」という言葉が複数回用いられている。
『中日ドラゴンズ70年史』では、「『10.8』決戦」と表記され、ベースボールマガジン2009年3月号では「10.8」とされている。
また『ありがとうナゴヤ球場』(中日新聞社、1996年)には「10.8大決戦」と記している。
関係者の著書を見ると、「10.8決戦」という言葉が、桑田『桑田真澄という生き方』(1995年)、落合『プロフェッショナル』(1999年)で使用されている。
一方、今中『悔いはあります。
』(2002年)は「"10.8"」と表記している。
一方で、『巨人軍5000勝の記憶』、川相『明日への送りバント』では、特に名称をつけていない。
2010年8月9日、日本野球機構が12球団の選手・監督・コーチら計858人からプロ野球の歴史を彩った「最高の試合」と「名勝負・名場面」についてアンケートを募集したところ「最高の試合」部門で第1位に選ばれた[47]。
^ 「10・8決戦」(じゅうはちけっせん)とも呼ばれる。
・^ a b 1973年10月22日、阪神が2位巨人に0.5ゲーム差で首位にいた状況で、両チームにとっての最終戦が優勝を決定する直接対決として行なわれた。
ただし、長嶋は当時コーチ兼任選手として巨人に在籍していたものの、別の試合で負傷のため試合会場に行かなかった(『週刊ベースボール』1973年11月5日号 834号)。
なお、高木は、同年10月20日に阪神を破ってこの局面を「演出」した中日に選手として在籍していた。
(V9 (読売ジャイアンツ)も参照)^ 関係者から見たこの試合の位置づけについて、川相は、自著『明日への送りバント』で「日本シリーズでの第七戦とはまた意味合いの違う(中略)ここで破れれば、129試合、なんのために気持ちを切らさずにがんばってきたのかわからなくなります」と述べている。^ 電通は、『広告景気年表:1994年』の「世相・風俗 (1994) 」において、「プロ野球を中心にスポーツ界に話題が集まる」として、イチローの210安打、巨人の「日本一」と並んでこの試合を取り上げている。^ セントラル・リーグを参照。
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