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鹿内信隆とは?
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鹿内信隆
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- 信隆の実の親は徹とモヨではなく、“I”といい六歳の時に養子に出されたことになっている。
生まれたのも留萌町である。
ただ両家ともに信隆はたしかに徹、モヨの実子に違いないと信じている。
たしかに“I家”は信隆の父方の祖母が後妻として嫁いだ先であり、また徹二十四歳、モヨ十八歳の若さで信隆が生まれたことになるから、しばらく“I家”に預けられたということなのかもしれない。
いずれにしろ幼少期に、信隆は留萌町から由仁町の鹿内家に引き取られたということになるのだろうが、その詳しい事情はいまとなっては判然としない。
それより不可解なのは、歴代の秘書はもちろん家族もその詳しい経緯を知らないことだという。
- 元秘書の一人は「鹿内さんが養子になっていることは、業務の中で、戸籍や一族の関係図などを見た秘書は知っていたが、事情を知っている者は誰もいなかった」という。
- 誉田によれば、「産経ではかつて社会部出身の一部の幹部を中心に鹿内さんの生い立ちにまで遡って調べる動きがあった。
反鹿内の気運は産経で折に触れてくすぶっていたから、いつか狼煙をあげるためのネタを集めていたとも言えるし、より直接的には自分の身を守るための武器にしようとした者もいた。
ありていに言えば、“メディアの巨人として脚光を浴びる鹿内というのは出自もはっきりしない、インチキではないのか”という見方が背景にあったということです」という。
- また誉田によれば、秘書室あてに、いわゆる情報屋とも興信所ともつかないところから、信隆の家系を調べた報告書が送りつけられたこともあった。
「あなたはこういう家の出身ですね、と養子の事実が書いてあった。
鹿内さんに『大変です。
こんなものが来ました』と報告したら、『カネを払って処理するように』ということだった」という。
雄弁な権力者に潜む“空白”が必然的に招き寄せるのは、憶測とネガティブな噂の類である。
・『鹿内信隆は語る―理想なきものに創造性は生まれぬ』(講談社)
・『指導者 カリスマの秘密』(講談社)
・『泥まみれの自画像』(上・下巻)(扶桑社)
・『創造の感動に生きる』(扶桑社)
・『21世紀を拓く』(扶桑社)- 共著
・(桜田武)『いま明かす戦後秘史』(上・下巻)(サンケイ出版)
^ 中川一徳著『メディアの支配者(上)』234頁^ 佐野眞一『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』230頁には「鹿内信隆に関する評伝は十指にあまるが、その出生地は自伝も含め、北海道夕張郡由仁町とされている。
しかし鹿内家のそもそものルーツは留萌郡留萌町で、鹿内信隆は父・徹、母・モヨとの間の長男として明治四十四年十一月、この地に生まれた。
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鹿内信隆
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