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鴻上尚史とは?


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鴻上尚史
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1987年(昭和62年)10月17日から1989年平成元年)4月1日まで担当した「オールナイトニッポン(金曜深夜1部)」での「究極の選択・どっちを選ぶ」「10回クイズちがうね」といったコーナーは、他のテレビ・ラジオ番組などで取り上げられ、その遊びが流行した。
ちなみに当時のギャラは1ヶ月7万円(金曜1部時代)だったと、東貴博の『ニッポン全国ラジベガス』で告白している。
それでも金曜2部時代のギャラが1ヶ月3万円(金曜1部の最終回で本人が告白)だったことを考えればかなり上がっている(なおこれには異説がある。
詳しくは鴻上尚史のオールナイトニッポンを参照)。
金曜1部時代には、番組内で「ドラゴンクエストが好きで好きでしょうがない」と発言したことから話が進み、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のエンディングとフィールドの曲をアレンジし、自ら作詞とボーカルを担当し、シングルレコード/CD『ヴォーカル版 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(A面:そして伝説へ… Into The Legend、B面:冒険の旅 Adventure)を発売した。
このシングルはオリコンシングルチャートで初登場29位を記録した。
またゲーム内でも鴻上がモデルの人物が登場する。
同番組ではそれ以外にも、当時芸能界でいわゆる「二世ブーム」が起きていたことに対して「○○のジュニア」というパロディコーナーを仕掛けていたが、鴻上の「売れない演歌歌手の息子はつらいだろうな」の発言に、演歌歌手の鏡五郎の息子が反応し、これをきっかけに長らくヒットに恵まれなかった鏡五郎にスポットライトを浴びせさせ、息子も「鏡五郎の息子」という芸名でCDデビューさせたりもしている。
なお、オールナイトニッポンでは2部時代・1部時代ともに「言いやすい・呼ばれやすい」という理由から自ら「こうかみ」でなく「こうがみ」と名乗っていた。
その他

1987年(昭和62年)秋のフジテレビキャンペーン「ウーヤーター、スーパーテレビ宣言」のイメージキャラクターとなり、一般的に顔を知られるようになる。
またコラムニストとしても、「週刊朝日」連載の「鴻上夕日堂の逆上」「鴻上の知恵」、「週刊SPA!」連載の「ドンキホーテのピアス」など長期に渡り執筆活動を続けている。
テレビゲーム制作にも関わり、「G・O・D~目覚めよと呼ぶ声が聞こえ~」(1996年)の制作総指揮を行っている。
だが、クソゲーとの評価もある。
なお、「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」のアッサラームの町には、東の国で劇場を開く夢を持っていた人物が存在するが、彼のモデルは鴻上である。
映画「ジュリエット・ゲーム」(1989年)で初監督。
その後オムニバス作品の監督を手がけた後、1994年(平成6年)にはサードステージが自ら制作した「青空に一番近い場所」を監督するが、興行的には成功したとは言いがたく、その後しばらく「借金返済のため」(本人談)に地元・あいテレビを初めとして多くのテレビ番組に出演する。
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