Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>住所・郵便番号>鳴尾>鳴尾の5ページ目
鳴尾とは?
村政時代の大事件として大正12年(1923年)には、鈴木商店が危険物であるピクリン酸の搬入を強行したピクリン酸事件が村政を揺るがした。
大正から昭和にかけて臨海工業地として発展し、武庫川の改修に伴い枝川・申川は廃川し、旧河道付近は甲子園として開発され、甲子園球場、甲子園阪神パークなどが作られた。
昭和25年時点で鳴尾村は世帯数7,723・人口33,812、単独で市になれるほどの規模があった。
また、戦前から大庄村・武庫村・瓦木村と武庫川市になる構想もあった。
しかし戦後に財政事情が悪化し、西宮・尼崎両市からの合併宣伝合戦の末、住民投票で西宮市への合併が決定した。
この時、村から市へ「合併覚書」が取り交わされ、西宮市はいくつもの公約を結ぶこととなり、それらは現在にまで続けられている。 合併後
昭和26年(1951年)4月1日、鳴尾村は山口村、塩瀬村と同時に西宮市に編入され、「合併覚書」に従い旧村域に基づいた鳴尾・瓦木・甲東・塩瀬・山口の5つの支所管区が制定された。
戦後復興の中、海岸部には浜甲子園団地や武庫川団地といった高層団地が建てられた。
旧鳴尾村域は「鳴尾町」を冠して4つの旧大字を継承。
その徐々に新住居表示に切り替わり昭和41年(1966年)には「鳴尾町」は消滅した。
以下は各町名と変更年:
・昭和29年 - 浜甲子園1~4丁目・南甲子園1~3丁目
・昭和30年 - 花園町・里中町2~3丁目・学文殿町1~2丁目・小曽根町1~4丁目・甲子園1~4番町・戸崎町
・昭和32年 - 鳴尾町1~5丁目・上鳴尾町・東鳴尾町1~2丁目・甲子園町・南甲子園1~3丁目・枝川町・古川町・笠屋町・高須町1~2丁目・池開町・甲子園1~9番町
・昭和35年 - 小松西町1~2丁目・上田西町・甲子園1~9番町・南甲子園1~3丁目・鳴尾町1~5丁目・里中町1~3丁目
・昭和41年 - 平左衛門町
鳴尾行政区域は昭和44年(1969年)の平左衛門町と尼崎市大字西昆陽字田近野(現在の田近野町)の換地[3]、昭和57年(1982年)の瓦木支所管内への編入、平成4年(1992年)鳴尾浜埋立、平成9年(1997年)甲子園浜埋立により合併当初から約2km²面積増大した。
楽に探せる!楽ワード
ページ(5/8)
≪前ページ
|
次ページ≫