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野田佳彦とは?




2002年(平成14年)9月の民主党代表選挙に際しては、菅直人鳩山由紀夫の「鳩菅体制」に危機感を覚える前原誠司松沢成文河村たかしなどの中堅・若手議員で「第二期民主党をつくる有志の会」を結成した。
代表選に前原と野田のどちらを擁立するかで調整が難航したが、中堅・若手議員を代表する形で野田の出馬に落ち着いた。
鳩山代表の3選は阻止できず落選したが、選挙戦を通じて党内での知名度を高めた。
その後、鳩山代表から政策調査会長就任を要請されるが、鳩山を支持するために代表選出馬を取り止めた中野寛成幹事長就任を「論功行賞」と批判し、就任を固辞した。
12月に民主党国会対策委員長に(2003年〈平成15年〉11月まで)就任。2004年(平成16年)には次の内閣財務大臣に就任(2005年〈平成17年〉9月まで)して、党の要職を歴任する。
2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では千葉4区で自民党の藤田幹雄の猛追を受けるが、944票差で藤田を破り、4選。
なおこの選挙で、千葉県内の小選挙区で当選した民主党議員は野田ただ1人であった。
堀江メール問題での失脚
堀江メール問題」も参照
2005年(平成17年)の総選挙で惨敗した民主党は敗北の責任を取って辞任した岡田克也代表の後任に前原誠司を選出して、野田は前原執行部で再度国会対策委員長に就任した。
しかし、2006年(平成18年)2月に永田寿康が引き起こしたライブドア元社長の堀江貴文の総選挙出馬をめぐる堀江メール問題では、当初このメールの信憑性をうたがわず永田を擁護する対応をとったため国対委員長を引責辞任した(のちに前原も民主党代表を辞任)。
なお、このメール問題について2008年(平成20年)に刊行された民主党秘書らによる『民主党10年史』(第一書林)では「普通の企業なら当然そなわっている危機管理と統治能力がなかった」、「党執行部の仲良しグループ化が生んだ情報囲い込み」が原因だったと指摘された。
また馬淵澄夫によれば、国対委員長を辞任した野田と神楽坂のバーで飲んだ際、野田は「いやー、いろいろあったけど墓場まで持っていくしかねぇな」と話したという[10]
国対委員長辞任後は科学技術政策ワーキングチームの座長として宇宙の軍事利用の検討を行い、防衛目的の利用はできないという従来の政府解釈を転換し、非侵略での宇宙利用を容認する「宇宙条約」の締結を進める方針や「宇宙庁」の設置を主張した[11][12]
注目の情報

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