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野田佳彦とは?




当初は立花隆に憧れ、ジャーナリストを志していた[2]
在学中は新自由クラブボランティア活動をし、1977年の参院選でビラ配りをした経験もある[5]
1980年(昭和55年)3月、早稲田大学を卒業。松下幸之助が設立したばかりの松下政経塾に第1期生として入塾した。
野田は「今でも、松下幸之助塾長との最終面接を鮮烈に覚えています。
笑顔で迎えてもらったが、目は笑っていませんでした。
むしろ、射抜くような怖い目つきでした。
耳はとても大きくて、ピンと立っていました。
」「『キミの身内に政治家はおるか?』『まったくいません』『そりゃ、エエな。
ところでキミの家は金持ちか?』『どちらかというと貧乏です』『なお、エエな』何が良かったのか、いまだにさっぱり分かりません。
が、こうして、政経塾で5年間、あるべき政治の姿を学ぶことになりました[2]
」と当時について回想している。
1985年(昭和60年)に政経塾を卒業した[4]
政界入り

家庭教師都市ガスの点検員等、様々な仕事の経験を経て[6]、1987年(昭和62年)に千葉県議会議員選挙に千葉県内一の激戦区である船橋市から立候補した。
選挙資金はカンパによる500万円、運動員は20代のボランティア約50人だったが、「金権千葉の政治風土を変えよう」「路地裏の政治」と毎日朝夕、駅前で訴え、下馬評を覆し当選した[7]
千葉県議は2期務めた。
国政へ

1992年(平成4年)に松下政経塾の評議員の1人だった元熊本県知事細川護煕の下で日本新党の結党に参加。
翌1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙旧千葉1区から出馬して、選挙区内で一番多くの票を得て初当選した。
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