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鄧愈とは?



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本来の表記は「鄧愈」です。
この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

鄧愈(とう ゆ、1337年 - 1377年)は、明朝開国の功臣で、軍人。
虹(現安徽省泗県)の出身。
元の名は鄧友德といったが、後に朱元璋によって改名された。

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1 朱元璋に出会うまで
2 朱元璋軍に参加する
3 朱元璋軍の別働隊を指揮する
4 苗族の支配に苦労する
5 鄱陽湖の戦いと掃討戦に加わる
6 襄陽を統治する
7 北伐参加と、チベット攻略
8 晩年
9 参考文献

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朱元璋に出会うまで

父の名は順興といい、臨濠(現安徽省鳳陽県)で軍との戦いで戦死した。
父の後を兄の友隆が継いだが、病死したため1352年、16歳(年齢は数え年、以下同じ)の時、鄧愈が継ぐことになった。
鄧愈は常に軍の戦闘に立って敵陣に攻め入ったため、皆その勇気に感服していたという。

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朱元璋軍に参加する

1353年、朱元璋が長江北方にある滁陽(現安徽省滁州市)で蜂起した際、鄧愈はこの軍に参加し、管軍総管の地位をもらった。
そして1355年、朱元璋軍に従軍して長江を渡り、集慶(現南京)占領に貢献した。
さらに1356年、朱元璋は、徐達を大将軍として主軍を預け、周辺都市を攻略した。
鄧愈は別働隊として広徳(現安徽省宣城市広徳県)を攻略し、その功で広興翼元帥に昇進した。

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朱元璋軍の別働隊を指揮する

鄧愈は広徳の守備を任される。
そこを謝再興率いる元軍が攻めるが、元軍は大敗し、総管の武世栄とその部下1000人が捕虜となった。
(元軍といっても、その大半は民間武装組織を元朝が公認したものにすぎなかったので、より強い組織になびくことは珍しくなかった。)1357年、鄧愈は捕虜を自軍に組み込ん
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