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豊川信金事件とは?


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デマがパニックを引き起こすまでの詳細な過程が解明された珍しい事例であるため、心理学社会学の教材になることも多い。

目次


1 事件の経緯
2 事態がパニックに発展した要因
3 関連作品
4 参考文献・資料
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク

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事件の経緯

 1973年12月8日(土)、下校中の飯田線車内で、豊川信用金庫に就職が決まった女子高校生Aを、友人B・Cが「信用金庫は危ないよ」とからかう。
この発言は同信金の経営状態を指したものではなく、「信用金庫は強盗が入ることがあるので危険」の意味[1]で、それすら冗談であったがAは真に受けた[2]
その夜、Aから「信用金庫は危ないのか?」と尋ねられた親戚Dは、信用金庫を豊川信金だと判断して同信金本店の近くに住む親戚Eに「豊川信金は危ないのか?」と電話で問い合わた。
 9日(日)、Eは美容院のFに、「豊川信金は危ないらしい」と話した。
 10日(月)、Fが親戚Gにこの話をした際、居合わせたクリーニング業Hの耳に入り、彼の妻Iに伝わる。
 11日(火)、小坂井町の主婦らの間で豊川信金の噂が話題となり、通りがかりの住民の耳にも入る。
この頃、噂は「豊川信金は危ない」と断定調になる。
 12日(水)、街の至るところで、豊川信金の噂の話題が持ちきりとなる。
 13日(木)、Hの店で電話を借りたJが「豊川信金から120万円おろせ」と電話の相手に指示した。
Jは噂を全く知らず、ただ仕事の支払いで金を下ろす指示をしただけだったが、これを聞いたIは同信金が倒産するので預金をおろそうとしていると勘違いし、慌てて同信金から180万円をおろした。
その後、H・Iは知人にこの話を喧伝、これを聞いたアマチュア無線愛好家が、無線を用いて噂を広範囲に広める。
この後、同信金窓口に殺到した預金者59人により約5000万円が引き出される。
同信金小坂井支店に客を運んだタクシー運転手の証言によると、昼頃に乗せた客は「同信金が危ないらしい」、14:30の客は「危ない」、16:30頃の客は「潰れる」、夜の客は「明日はもうあそこのシャッターは上がるまい」と時間が経つにつれて噂は誇張されていく。
 14日(金)、事態の収拾のため、同信金が出した声明が曲解され、パニックに拍車が掛かる。
その後、「職員の使い込みが原因」、「理事長が自殺」という二次デマが発生し、事態は深刻化する。
 信金側の依頼を受け、マスコミ各社は14日の夕方から15日朝にかけて、デマであることを報道し騒動の沈静化を図る(新聞の見出し:「デマ、5000人を走らせる」・「デマで取り付け騒ぎ」)。
 15日(土)、大蔵省東海財務局長と日本銀行名古屋支店長が連名で同信金の経営保障をする。
自殺したと噂された理事長自らが窓口対応に立ったことも奏功し、事態は沈静化に向かう。
 16日(日)、警察がデマの伝搬ルートを解明し、発表する。

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事態がパニックに発展した要因

こうして伝言ゲーム式にデマが形成され、事態がパニックに発展した理由として、次のような要因が存在した[3]
 事件が発生した1973年当時、10月にはトイレットペーパー騒動が発生するなど、オイルショックによる不景気という社会不安が存在し、デマが流れやすい下地があった。

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