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西郷輝彦とは?
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1962年に鹿児島商業高校中退後、鹿児島からヒッチハイクで大阪に行きアルバイトサロン(略してアルサロ)でボーイをしながら、かねてから下見をしていた有名なジャズ喫茶のオーディションを受けるも落選し途方に暮れていたところを、審査員の口利きでバンドボーイとなる。
その後京都、名古屋などをぐるぐるまわりながらバンド活動をしていたところを龍美プロに誘われ入社。
1964年2月、クラウンレコードより「君だけを」でデビュー。
「十七才のこの胸に」もヒットし、両曲でその年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。
同年「十七才のこの胸に」で映画デビュー。
しかし事務所が解散し東京第一プロダクション(現 第一プロ)へ移籍するも同社を退社した相澤秀禎マネージャー(業務成績不振及び素行不良が原因で退社)の画策により1965年にクラウンレコード、太平洋テレビなどと共同出資(西郷は50%)によって誠和プロを設立し当面はクラウン・レコード宣伝部に事務所を置き社長業を兼ねる。
ビート歌謡曲歌手として大人気であっただけでなく多くの映画に主演し、1960年代を代表する青春スターであった。
自ら我修院建吾[2]のペンネームで雑誌「明星」に連載小説を書き、映画にもなった自作曲「傷だらけの天使」もヒットした。
銀川晶子、五代けんも西郷自身の作詞作曲時のペンネームである。
またデビュー当時のキャッチフレーズは「太陽の王子」であった。
1965年5月10日に鹿児島市鹿児島体育館で行われた帰郷ショーで観客が入場口に殺到し、整理の警官1名が死亡、観客13名が負傷するという事故が起きている。
1970年代に入り「真夏のあらし」(第12回日本レコード大賞作曲賞受賞曲)や「情熱」、「略奪」、「愛したいなら今」とロックポップス色を前面に出した曲が立て続けにヒットし、1971年2月には日生劇場でのロングラン公演を果たし大成功を収めた。
1973年、劇作家花登筺の誘いを受けTVドラマ「どてらい男(ヤツ)」(関西テレビ制作・フジテレビ系)に主演し、同番組は高視聴率を獲得し1977年までのロングランヒットとなる。
1975年からは時代劇にも進出。
特に国民的時代劇であるTBS「ナショナル劇場」の「水戸黄門第6部」の第1話にゲストとして招かれ出演したことがきっかけで、同枠の時代劇「江戸を斬る」の主演遠山金四郎役に大抜擢されたことはあまりにも有名である。
しかも西郷はその期待に応えるべく同時代劇で京都映画祭新人賞を受賞。
また第4シリーズの初回において最高視聴率36.7%を獲得するなどの人気シリーズとなり、俳優としての地位を確立した。
またあらゆる面でその後の人生に大きな影響を与えた森繁久弥に師事し、舞台「暖簾」、「孤愁の岸」、「屋根の上のヴァイオリン弾き」などに出演する森繁ファミリーの一員でもあった。
大ヒット曲「星のフラメンコ」は、物まねタレントやCMなどにパロディー化もされている(本人出演のテレビCMでのセルフパロディーもあった)。
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