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藤原頼長とは?



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藤原 頼長(ふじわら の よりなが)は、平安時代末期の公卿
兄の関白藤原忠通と対立し、父・藤原忠実の後押しにより藤原氏長者内覧として旧儀復興・綱紀粛正に取り組んだが、その苛烈で妥協を知らない性格により悪左府(あくさふ)の異名を取った。
後に鳥羽法皇の信頼を失って失脚。
政敵の美福門院・忠通・信西らに追い詰められ、保元の乱で敗死した。男色はじめ当時の風俗を克明に記した日記『台記』でも有名。

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 1 生涯
 1.1 摂関家の才子
 1.2 多子・呈子の入内競争
 1.3 執政と孤立
 1.4 保元の乱
 2 人物
 3 官歴
 4 系譜
 5 補注
 6 参考文献
 7 主題にした作品
 8 登場する作品

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生涯
摂関家の才子

幼名は菖蒲若(あやわか)。大治5年(1130年)、藤原敦光が持参した複数の名字の中から中御門宗忠が「御堂(道長)宇治殿(頼通)御名字なり」という理由で選び、「頼長」と命名された(『中右記』正月3日条)。
元服して正五位下に叙せられ侍従近衛少将伊予権守に任官。
同年、右近衛権中将。天承元年(1131年)に従三位
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