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藤原昭とは?




しかし、この後も各所で異論が噴出するも、強引とも言える手法で、ホテル・バイ・マリオットコートヤードの誘致交渉を行った。
しかし、直後に起こった、アメリカ発のサブプライムローン問題で当該ディベロッパーのゼファーが破綻し計画は頓挫する。
その後も、2008年に奈良市内の不動産管理会社が「JR駅前ホテル開発株式会社」を立ち上げて国土交通省の中心市街地活性化計画の一環である、民間都市整備機構の助成金を申請し、60億の支援を決定させる。
この決定を受け、藤原市長の下で再度ホテル建設を計画するが、地元企業や地元金融機関からの支援が思う様に集まらず当初の計画の狂いが生じる。
そして、2009年3月に計画不履行となり、ホテル計画は再度頓挫し計画実施は事実上不可能となった。
このホテル誘致と共に計画されていたのが、JR奈良駅東側整備計画であった。
現在のJR奈良駅2階自由通路より、駅前広場一帯に広がるペレステアンデッキと、その下から県内各所へ発着するバスターミナルを設置する計画である。
旧24号線と三条通りの交差点をはじめとして、各所に降り口を設け、事実上、駅前広場を2階建て構造にする予定で有った。
しかし、この計画は、旧24号線の拡幅計画の進展が無く、現状の道幅では降り口の設置が難しい事、またデッキ降り口をどの位置にするかで、降り口に接する商店と、そうでない商店とで、利害関係が対立した事、また、ホテル計画も頓挫した事も作用して、デッキの設置計画は不履行となってしまった。
しかし、この名残として、現在の2階自由通路からJR奈良駅NKビルへの通路が設置されている。
時を同じくして、2009年7月の市長選挙には立候補をしない旨を表明して一期で引退を宣言した。
現在は、自身が奈良県教育長時代に設立に関係した、畿央大学で教鞭を執っている。
引退後すぐ、このホテル建設予定地に、旧国鉄時代に投棄された石炭カスやレンガの破材が埋設されているのがわかり、所有者と奈良市の間でトラブルが噴出し、2011年現在も未解決のままである。
また、この事案を調査・追求した奈良市議に、一部の団体から政治的圧力がかかった。
先代:
鍵田忠兵衛
奈良市
2005 - 2009
次代:
仲川元庸


(出典:Wikipedia 2011/11/05 23:38 UTC 版)

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