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英布とは?


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英布(えいふ、? - 紀元前195年)は、末から前漢初期にかけての、武将政治家楚漢戦争期の九江王。
前漢初期の淮南王。
通称黥布(げいふ)。
六(りく、現安徽省六安県)の人。
略歴
姓名英布
時代代 - 前漢時代
生没年生年不詳 - 前195年漢太祖12年)
字・別号黥布(別名)
本貫・出身地等揚州六安国六県
職官将軍〔楚〕
爵位・号等當陽君〔楚〕→九江王〔楚〕
→淮南王〔漢〕
陣営・所属等呉芮項梁楚義帝項籍劉邦
→〔独立勢力〕
家族・一族義父:呉芮

若い頃、占い師から人相を占われ、「いずれ刑罰を受けることになるが、その後に王になるだろう」と予言された。
しばらくして、本当に刑罰を受け刺青を入れられると、「俺は王になれることが決定した」とかえって喜んだという。
通称の黥布はこのことに因んでつけられたものであり、日本風に言い直せば「刺青の布さん」ということになる。
秦末の動乱期に仲間と語らって挙兵し、秦の番陽県令であった呉芮と連携し、その娘をめとった。項梁に仕えて当陽君と名乗ることを許され、項梁の戦死後は項羽に仕えた。
項羽の下で反秦戦争に従軍し、その先陣として、また汚れ役として活躍(項羽率いる楚軍に降伏した、秦軍20万人を殺害した)、秦滅亡後に項羽の配下では唯一九江王に封建される。
一説によれば、この直後に英布は項羽の命で、衡山王に任ぜられていた義父の呉芮らと共に義帝を殺害したという。
しかし、この頃から項羽と何かと対立するようになり、の反乱や彭城の戦いで項羽の救援要請に対して病と称してみずから出馬せず、派兵にとどめている。
彭城の戦いの後に劉邦が派遣した説客・随何の説得に応じて、劉邦の配下として参戦することとなるが、項羽が派遣した項声・龍且の軍に大敗し、劉邦のもとへ亡命した。
紀元前202年垓下の戦いで項羽が死に、劉邦が皇帝(高祖)に即位、前漢が成立すると、英布は淮南王に封建される。
しかしその頃から、劉邦やその妻・呂雉により異姓諸侯王が次々と粛清される。
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