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胡亥とは?
前207年になると秦軍は各地で反乱軍に敗退、中でも劉邦による軍は都城である咸陽の近郊まで進軍してきた。
ようやく状況の悪化を知った胡亥は趙高の責任を追及し、粛清を恐れた趙高は一族を率いてクーデターを起こす。
その結果胡亥は捕らえられ24歳で自殺させられた。
胡亥が即位するに当たって、始皇帝が長子の扶蘇を後継者とする遺詔を残したが、趙高と李斯により遺詔が改竄されたため胡亥が即位したと『史記』は記録している。西嶋定生は「このような偽勅の陰謀があったとしても、それはもともと史料として残る性質のものではない。
事実として確認できるのは末子胡亥の即位と、長子扶蘇および将軍蒙恬が勅書を受けて死罪となったということだけであって、偽勅がなされたかどうかということは証明しがたいことである。
末子の即位と長子の非業の死という異常の事態と、二世皇帝時代における秦帝国の急速な凋落とが、後世巷間に、このような偽勅の陰謀というフィクションをつくりあげたのではあるまいか」と述べている[1]。
^ 中国の歴史シリーズ『秦漢帝国』(文庫版 ⇒『ISBN 4-06-159273-4』)
⇒『表』・話・編・歴
秦の皇帝(前210年 - 前207年)
【君】: 非子前900-前858 / 秦侯前857-前848 / 公伯前847-前845 / 秦仲前844-前822 / 荘公前821-前778
【公】: 襄公前777-前766 / 文公前765-前716 / 寧公前715-前704 / 出子前703-前698 / 武公前697-前678 / 徳公前677-前676 / 宣公前675-前674 / 成公前663-前660 / 穆公前659-前621 / 康公前620-前609 / 共公前608-前604 / 桓公前603-前577 / 景公前576-前537 / 哀公前536-前501 / 恵公前500-前491 / 悼公前490-前477 / 厲共公前476-前443 / 躁公前442-前429 / 懐公前428-前425 / 霊公前424-前415 / 簡公前414-前400 / 恵公前399-前387 / 出公前386-前385 / 献公前384-前362 / 孝公前361-前338
【王】: 恵文王前338-前311 / 武王前311-前307 / 昭襄王前306-前251 / 孝文王前250 / 荘襄王前249-前247 / 政前246-前221
【皇帝】: 始皇帝前221-前210 / 二世皇帝前209-前207
【王】: 子嬰前207
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