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立川飛行場とは?
東地区の旧極東航空資材司令部付近は所有者である立飛企業株式会社や新立川航空機株式会社に返還され、商業施設のほか都立砂川高校、市立中学校、市立体育館などの公的施設用地として利用されており、旧空軍病院付近はタチヒゴルフ練習場として利用されている。
その他の跡地は東部・中央部・西部の3地区に分割され、東側は陸上自衛隊立川駐屯地のほか、海上保安庁・警視庁・東京消防庁など各官公庁の施設が設けられ、立川広域防災基地となった。1994年には、一部がファーレ立川として再開発された。
また中央部は、昭和天皇在位50年を記念して国営昭和記念公園が造営された。
残った西部地区は米軍から返還された後も30年以上実質放置されていたので、自然な森と化し、近年では稀少動植物の存在が確認されている。
また、松任谷由実の「LAUNDRY-GATEの想い出」で歌われた、陸軍航空廠の煙突も戦後の佇まいを残している。
そのような中、2007年9月に東京都、神奈川県にある数箇所の刑務所関連施設を統合した「国際法務総合センター」(仮称)の建設案が法務省から昭島市へ要請され、北川穰一・昭島市長は要請を受理する意向を示した。
法務省からのこの要請に一部の市民が刑務所施設建築反対運動を行い、27,000人を超える署名を集めて昭島市へ陳情したが、市議会で不採択となった。
その後、2008年6月に東京都が利用計画を財務省に提出した[5]。
- 現在の滑走路は旧滑走路の西側に新設されたものであり、旧滑走路上には立川広域防災基地を構成する各官公庁の施設やヘリポートが整備された。
北側の旧滑走路末端標識については現在でも航空写真で確認できる。
なお、南側の旧滑走路末端は国営昭和記念公園の立川口駐車場入口から西に100mほど進んだ辺りに存在した。 - 多摩都市モノレール線・立飛駅の名称は、駅周辺に存在するタチヒグループに由来するものであり、現立川飛行場である陸上自衛隊駐屯地とは距離がある。
- 2000年以降、国営昭和記念公園に場所を移して行われていた箱根駅伝予選会のコースが、2005年に飛行場の東からスタートし、北上してから公園に入るコースになり、2006年からは飛行場の滑走路がスタート地点となり、コースも一部が市街地を経由してから公園に入るようになった。
予選会参加校の増加に伴い、スタートを公園内にするには限界があり、選手の安全面も配慮されてのものである。
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