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石原俊とは?
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石原 俊
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日産自動車社長、日本自動車工業会会長、経済同友会代表幹事として、日本の自動車産業や財界活動に大きな影響を与えた。目次
1 来歴・人物
├1.1 日産自動車
├1.2 財界活動
└1.3 その他の活動
2 現在の評価
東京の府立四中、旧制浦和高校を経て、1937年、東北帝国大学法文学部卒業後、日産自動車に入社。
経理・財務関係の部署に勤め、専務や副社長として川又克二社長を支えた。
1977年6月、前任者の岩越忠恕を継いで同社の社長に就任すると、新経営方針の「グローバル10」を発表し、労使関係の改革に着手した。
これは、世界の自動車生産における日産のシェアを10%へ引き上げるという目標を掲げた積極的な経営方針の表明であり、その後10年近く続く労使対立のきっかけともなった。
日産では川又の前任者である浅原源七社長時代の1953年の大争議中に労使協調路線の労働組合である日産労働組合が結成され、影響力を及ぼしていた塩路一郎委員長は同盟系の自動車総連初代会長も兼任して、日産の内外で大きな影響力を公使した。
長年にわたる川又との蜜月状態は日産の労使関係を安定化させ、日産をトヨタに次ぐ日本第二の自動車メーカーに発展させる一助となったが、経営陣は労働組合(すなわち塩路)の同意無しでは意志決定が出来ないという弊害も生んでいた。
当時の石原社長は「グローバル10」で野心的な経営拡大方針を示し、当時深刻になっていた貿易摩擦への対応策として、アメリカやヨーロッパでの現地生産や資本参加を進めた。1980年にはスペイン企業「モトール・イベリカ」への資本参加、ドイツのフォルクスワーゲンとの提携生産などを発表し、1981年にはイギリスのマーガレット・サッチャー首相との間でイギリス国内での現地工場建設協定に調印した。
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