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田沼意次とは?
田沼 意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期の旗本、のち大名。遠江相良藩の初代藩主である。
相良藩田沼家初代。目次
1 生涯
├1.1 出生
├1.2 相良藩主時代
└1.3 田沼時代
2 人物
3 人脈
4 政策
└4.1 蝦夷地開発
5 官途
6 系譜
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
享保4年(1719年)7月27日、田沼意行の長男として江戸の本郷弓町の屋敷で生まれる。
幼名は龍助。
父・意行は紀州藩の足軽だったが、第8代将軍の徳川吉宗に登用され小身旗本となった。
意次は第9代将軍となる徳川家重の西丸小姓として抜擢され、享保20年(1735年)に父の遺跡600石を継ぐ。
意次は父・意行が当時としては老齢になってから生まれた息子だった。
意行は息子を授かるために七面大明神に帰依し、そして意次が生まれた。
そのため意次は七面大明神に感謝し、家紋を七曜星に変更したといわれる。
元文2年(1737年)、従五位下主殿頭になり、延享2年(1745年)には家重の将軍就任に伴って本丸に仕える。寛延元年(1748年)に1,400石を加増され、宝暦5年(1755年)には更に3,000石を加増され、その後家重によって宝暦8年(1758年)に起きた美濃国郡上藩の百姓一揆(郡上一揆)に関する裁判にあたらせるために、御側御用取次から1万石の大名に取り立てられた。
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