田斉の解説頁です。 Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>田斉>田斉の3ページ目

田斉とは?


スポンサーリンク
田斎/ヤフオク
住まい、インテリア用品が安く買えるかも?《ヤフーオークション》


第5代湣王は秦の昭襄王とともに王より高い称号であるを名乗り、東帝と称したが、諸侯の反感を恐れてすぐに王に戻した。
この時期には孟嘗君が宰相となり国政を見ていたが、湣王は自分よりも孟嘗君の名声が高くなるにつれて次第に孟嘗君が疎ましくなり殺そうとしたので、孟嘗君は逃亡した。
衰退

更に湣王はを滅ぼした。
しかしその裏では、燕の将軍楽毅主導による諸国連合の策謀があった。
紀元前284年、楽毅に率いられた・秦・趙・魏・韓の連合軍により斉の軍は大敗した。
楽毅により首都臨淄が陥落させられ、湣王は亡命先で殺された。
楽毅により滅亡寸前にまで追い詰められるも、田単の活躍により襄王が即位し、何とか斉は復興した。
とはいえ国力は激減しており、かつてのように秦と天下を争うのは無理になった。
その後、斉は秦によって滅ぼされてゆく他国を傍観する政策を取った。
この政策により束の間の平和を手に入れることができたが、最後には孤立無援の状態で秦と向かい合うことになった。紀元前221年秦王政によって派遣された将軍王賁により、最後の王・は捕えられ、斉は滅亡した。
結果的に斉は、秦を除いた「戦国七雄」最後の一国となった。
斉の一時復興

趙高によって秦が衰退すると、かつて秦に滅ぼされた田氏が反乱軍に参加する。
そして滅亡後の項羽の封建によって、田氏である田都が斉王となり斉を復興した。
だが不満を持つ同じく田氏の田栄が田都を殺害して反乱が起き、項羽が斉討伐に向かうことになった。
この戦いで項羽により田栄は敗北、庶民に殺害されると田広が斉王となり抵抗する。
この時、項羽は多数の斉の捕虜を生き埋めにして殺害していたために、斉は必死になって抵抗し、攻め落とすことができなかった。
この間に劉邦が蜀から挙兵し、関中彭城を手にしたために項羽は斉を倒すことができずに反転し、劉邦軍と戦うことになった。
その後、劉邦配下の韓信による諸国征伐が開始されるが、劉邦の配下酈食其が斉との同盟を結ぶ使者として訪れ劉邦と斉は同盟する。
ところが、韓信はそれを無視して斉を攻撃してきたため、斉王である田広は怒って酈食其を釜茹での刑にして殺し、韓信軍と戦うことになるが、斉軍は韓信軍に敗北し続けた。
そこで、項羽は援軍として龍且を将軍とする20万人の大軍を送ったが、韓信の嚢沙の計(水計)により龍且は戦死、20万人の軍も壊滅した。
田広はたまらず逃げ出すものの捕まり、韓信によって処刑されて斉は滅亡し、韓信が代わって斉王となった。

ウィキペディア目次へ
歴代君主
  1. 太公(田和、紀元前386年 - 紀元前385年)
  2. 田剡(紀元前384年 - 紀元前375年)
  3. 桓公(田午、紀元前374年 - 紀元前357年)
  4. 威王(田因斉、紀元前350年 - 紀元前320年)
  5. 宣王(田辟彊、紀元前319年 - 紀元前301年)
  6. 湣王(田地、紀元前300年 - 紀元前284年)
  7. 襄王(田法章、紀元前284年 - 紀元前265年)
  8. 王建(田建、紀元前265年 - 紀元前221年)

(出典:Wikipedia 2012/04/25 11:37 UTC 版)

ページTOP▲

スポンサーリンク
田斎/ヤフオク
住まい、インテリア用品が安く買えるかも?《ヤフーオークション》
楽に探せる!楽ワード

ページ(3/3)
≪前ページ

ページTOP▲
「田斉」の1ページ目
Weblio辞書辞典
「田斉」の記述に関する著作権




ランダム表示|登録辞書一覧
Weblio辞書辞典

お気に入りに登録
友達にも教える
「田斉」の記述に関するお問合せ

Weblio辞書辞典|ヘルプ|お問合せ
©2012Weblio