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田中要次とは?




1987年国鉄分割民営化にともない、JR東海東海鉄道事業本部社員となり、岡崎保線区に配属され、JR大府駅安城駅構内の部署に勤務した。
その頃から映画館通いが頻繁となり、愛知、岐阜、三重を渡り歩き、地元映画上映サークルと交流を深める。
1989年、親交のあった山川直人監督からオファーを受け、ミュージック・ビデオ佐木伸誘 / SEEK AND FIND』(1990.2.7) に出演した。
のち国鉄時代からの勤続が8年8カ月8日となり、ジョン・レノン十回忌の当日でもある1990年12月8日にJR東海を退職(自身はこれを“脱線”と称している)、俳優になる事を志して上京した。
1991年照明技師安河内央之に師事し、竹中直人監督『無能の人』の照明助手として参加。
竹中監督の目に留まった田中は同作品にエキストラとして出演も果たし、舞台『竹中直人の会 / 鉢植を持つ男』に神戸浩の代役としても参加した。
その後も職種を問わず、俳優だけでなく、撮影スタッフとしても照明助手の他に録音助手、ドライバー、付き人なども経験しながら、数多くの映像製作に携わった。
1994年、竹中直人監督『119』で、照明部トラックの運転中に事故を起こした事をきっかけに、スタッフ業から退き、俳優に専念するようになる。
1994年から1998年まではバイク便ライダーをやりながら生計を繋いでいた。
2001年、平均視聴率全話30%超えを記録したTVドラマ『HERO』でのバーテンダー役が話題となり、人気を博し、これをきっかけにバラエティにも進出。
2003年、オムニバス映画『刑事まつり 一発大逆転』で短篇「窯岡刑事 / Coming Out Cop KAMAOKA」の監督を果たし、以降も『奪われた刑事 / Snatches』 (2004) などを撮り続けている。

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エピソード

 1979年高校1年生の時に演劇部に入部し、文化祭で『十二人に怒れる男』を元にした舞台で陪審員長役を演じたが、不良生徒の野次と中年を演じなければならい違和感に嫌気がさして、自身にとって演劇は不必要と考え、1年で退部をした。
その後は軽音楽部でロックバンドの活動を続けた。
 1996年、バイト先だったバイク便会社 (BSA) からの派遣で『王様のブランチ』の "王様のバイク隊" のメンバーとしてレギュラー出演していた。

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