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生稲晃子とは?
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生稲晃子
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・芸能活動の起点は1985年『第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン』の賞金(優勝者本人に100万円、推薦者に50万円)に惹かれ、兄を推薦者にして「もし優勝したら150万円山分けしようという事で」応募したことが発端。
途中落選となったものの、ホリプロの系列モデル事務所からスカウトされて所属することになり、以後複数のオーディションを受けた。
(それ以前にも、アイドル雑誌ザ・シュガーの「今月のセーラー服美人」というコーナーで紹介記事が計3ページにわたって掲載されている)[1]。
・1986年3月に「これでダメなら大学受験に向けた勉強に専念しよう」と決めて『タッチ』ヒロイン・浅倉南のイメージガールを選ぶ「ミス南ちゃんコンテスト」に出場。
原作者のあだち充が生稲を推したこともあり大会関係者から「たぶん優勝は君になる」と優勝内定を知らされていた。
しかし、発表当日になってこの話は流れてしまった。
優勝者となったのは浅倉亜季。
・このとき居合わせたレコード会社の関係者から「おニャン子クラブのオーディションを受けてみますか?」と声を掛けられる。
優勝内定から一転、落選したショックから直ぐに次に繋がる話に飛びつく思考に切り替えることが出来ず、即答は避けて一旦保留とする返答のみをして帰宅した。
・おニャン子クラブのファンだった兄はオーディションの話に乗り気だったが、当の本人である生稲は、通常夕方は部活動をしていたので、夕方からの生放送番組の出演となれば退部を余儀なくされるために乗り気ではなかった。
また、「夕やけニャンニャン」の放送を殆ど見たことが無く、雑誌や音楽番組などで見聞きしていた程度の認識であった。
生稲が憧れていたアイドル歌手やおニャン子クラブのように大勢のアイドルが所属していたモモコクラブのメンバーと比較し、「おニャン子はブスが多いから、入るのは嫌だ」と兄に漏らしたことがある[2]。
・二の足を踏んでいた生稲であったが、当時生稲がファンだった「トシちゃんのレコードをあげるから」とレコード会社の人から言われたため、ためしに受けてみる事になった[3]。
また「(夕やけニャンニャンに出演時は)時給5千円」の一言にも魅力を感じたという[2]。
・1986年6月にフジテレビ系放映「夕やけニャンニャン」内オーディションコーナーを経て、1986年6月13日に、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビュー。
10月、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加。11月1日、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」で、フロント4人の中に入る。
・1986年12月、ローソンのからあげクンのCMに単独で出演。
おニャン子クラブ4枚目のアルバム『SIDE LINE』に収録されている「ハートに募金を」がBGMとして使用される(CM用に生稲のみのボーカルアレンジ)。
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