Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>火付盗賊改方>火付盗賊改方の1ページ目
火付盗賊改方とは?
ウィキペディア目次へ火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)は、江戸時代に主に重罪である火付け(放火)、盗賊(押し込み強盗団)、賭博を取り締まった役職。
本来、臨時の役職で幕府常備軍である御先手組頭、持組頭などから選ばれた。時代劇などでは、「火盗改」(かとうあらため)、或いは「火盗」(かとう)と略して呼ばれることがある。目次
1 概要
2 設置の経緯
3 廃止と再設置
4 関連項目
明暦の大火以後、放火犯に加えて盗賊が江戸に多く現れたため、幕府はそれら凶悪犯を取り締まる専任の役所を設けることにし、「盗賊改」を1665年(寛文5年)に設置。
その後「火付改」を1683年(天和3年)設けた。
初代火付盗賊改方頭(長官)として「鬼勘解由」と恐れられた中山勘解由が知られるが、当時は火付改と盗賊改は統合されておらず、初代火付改の中山直房のこととも同日に盗賊改(初代ではない)に任じられた父の中山直守とも言われる。1699年(元禄12年)には盗賊改と火付改は廃止され、三奉行(寺社奉行、勘定奉行、町奉行)の管轄になるが、吉良屋敷討入事件があった1702年(元禄15年)に盗賊改が復活し、博打改が加わる。
翌年、火付改が復活した。1718年(享保3年)には、盗賊改と火付改は、「火付盗賊改」に一本化されて先手頭の加役となり、1862年(文久2年)には先手頭兼任から独立した。
博打改は火付盗賊改ができた年に、町奉行の下に移管されている。
決められた役所は無く、先手組頭などの役宅を臨時の役所として利用した。
任命された先手組の組織(与力(5-10騎)、同心(30-50人))がそのまま使われるが、取り締まりに熟練した者が、火付盗賊改方頭が代わってもそのまま同職に残ることもあった。町奉行所と同じように目明しも使った。1787年(天明7年)から1795年(寛政7年)まで長官を務め、活躍が時代小説「鬼平犯科帳」となった長谷川宣以が有名である。
火付盗賊改方は窃盗・強盗・放火などにおける捜査権こそ持つものの裁判権はほとんど認められておらず、敲き(たたき)刑以上の刑罰に問うべき容疑者の裁定に際しては老中の裁可を仰ぐ必要があった。
火付盗賊改方は武官である番方であるが故に取り締まりは苛烈を極め、市井の人々からは恐れられ、一方の捜査機関たる町奉行所役人からは嫌われていた記録が見られる。
このためか、時代劇などにおいて悪役として扱われることも少なくない。
注目の情報
ページ(1/2)
次ページ≫