池内淳子の解説頁です。 Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>池内淳子>池内淳子の1ページ目

池内淳子とは?



ウィキペディア目次へ
ウィキペディア
池内 淳子(いけうち じゅんこ、本名:中沢 純子1933年11月4日 - )は、日本女優

目次


1 経歴・人物
2 主な出演
2.1 映画
2.2 テレビドラマ
2.3 舞台
2.4 バラエティー番組
2.5 ラジオ
3 脚注
4 外部リンク

ウィキペディア目次へ
経歴・人物

山本富士子と同じく和服の似合う上品な美貌の持ち主で1960年代から1970年代まで、テレビドラマの女王として君臨した。東京市本所区東両国(現・墨田区両国)生まれ。トモエ学園を経て、1952年十文字高等学校卒業。血液型はO型。
日本舞踊水木流家元栗島すみ子の弟子であり、名取「水木紅澄」でもある。
高校卒業後、三越百貨店に入社(配属された売り場に後の女優・前田通子もいた)。
そこで二人の美貌が評判となる。
翌年退社、花嫁修業のため和裁と料理の学校へ通い「サンケイグラフ」のカバーガール募集に応募して合格。
関係者の目に留まりスカウトされ、新東宝に入社。
偶然にも前田と再会した。
『皇太子の花嫁』で映画デビュー。
続く清水宏監督の『次郎物語』で姉役を熱演し注目される。
以来高島忠夫宇津井健の相手役として多くの作品に出演。
1956年に『新妻鏡』で初主演。久保菜穂子三ツ矢歌子と共に「新東宝現代劇の女優三羽烏」として脚光を浴びる。
その間、俳優の柳沢真一と結婚し、1957年に一時芸能界を引退、翌年に離婚して復帰。
だが結婚に反対した新東宝社長の大蔵貢から冷遇され、復帰後は不本意な役も泣く泣く引き受けなければならなかった。
1960年、ドラマ『今日を生きる』に主演。
平行してドラマ『日日の背信』(丹羽文雄原作、共演:原保美)にも主演。
後者は昼ドラマにも関わらず驚異的な高視聴率を記録、人気女優として名を轟かす(しかし、テレビドラマを「電気紙芝居」と蔑んでいた大蔵貢はこの事が気に食わず、池内を映画では端役出演に格下げし、所属も大部屋にするなど横暴な事をした)。
スポンサーリンク
太陽光発電のメリットをご紹介
余剰電力は東京電力が購入!費用や環境性のメリットを東電がご紹介。
『最新』人気上位FXベスト10
日本最大級の比較情報の集大成!FXデビューはこの10社から口座開設
楽に探せる!楽ワード

ページ(1/6)
次ページ

ページTOP▲
Weblio辞書辞典
「池内淳子」の記述に関する著作権




ランダム表示|登録辞書一覧
Weblio辞書辞典

お気に入りに登録
友達にも教える
「池内淳子」の記述に関するお問合せ

Weblio辞書辞典|ヘルプ|お問合せ
©2010Weblio