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永山城とは?
ウィキペディア目次へ永山城(ながやまじょう)は、大分県日田市丸山町にあった城である。
通称、月隈城(つきくまじょう)ともいうが誤りとされる。
旧称は丸山城(まるやまじょう)。
以下は、日田陣屋を併記する。目次
1 概要
2 歴史・沿革
3 構造
4 日田陣屋
├4.1 構造
└4.2 歴代代官
5 脚注
6 関連項目
永山城は、市街地北部にある三隈三山の一つである月隈山(つきくまさん)に築かれた平山城である。
全容については不明な部分が多いが、山頂付近の本丸跡に川石を用いた丸石の野面積みの石垣と算木積みの隅を持つ石垣が残る。
1601年に小川光氏によって築かれ丸山城と名づけたといわれている。
石川氏入封後に城の改築と城下町の移転などが行われたが、1633年中津藩の預かりをへて、幕府直轄領となった。
初代代官に小川氏が入城し同代官によって1639年に廃城とされ、日田陣屋が置かれた。
西国筋郡代役所となったのは江戸中期、揖斐政俊の時である。
この郡代役所は、最後の西国筋郡代となった33代代官窪田鎮勝が幕府歩兵部隊の「制勝隊」を解散する明治元年まで続いた。
後に、日田県知事松方正義(後の第4代総理大臣)によって旧三の丸に知事官邸と日田県庁舎が設けられ大分県に合併されるまで政治の場とされた。
日田県の廃県後、旧三の丸の半分が日田山林学校半分が日田区裁判所となり裁判所移転後に月隈公園として整備され、城山の石垣や水堀の一部などが残る。
陣屋跡(大手門堀沿い)は住宅地となって遺構は残っていない。
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