民主自由党_(韓国)の解説頁です。 Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>民主自由党_(韓国)>民主自由党_(韓国)の1ページ目

民主自由党_(韓国)とは?



ウィキペディア目次へ
ウィキペディア
民主自由党(みんしゅじゆうとう)は、韓国にかつて存在した保守政党盧泰愚第六共和国)と金泳三政権(文民政権)の与党である。
2012年現在の最大政党かつ中道保守政党であるセヌリ党の源流のひとつ。
略称は「民自党」(みんじとう)。

目次


1 概要
2 綱領
3 党史
4 選挙における党勢推移
4.1 大統領選挙
4.2 総選挙
5 脚注
6 参考資料
7 関連項目

ウィキペディア目次へ
概要

盧泰愚政権発足直後の1988年4月に行われた総選挙の結果、政権与党である民主正義党(民正党)は過半数を大きく割り込み、野党が院内多数派を占める状況となった(与小野大)。
この状況を打破するため民正党は、1990年1月11日から13日にかけて野党の三金総裁(統一民主党(民主党)=金泳三平和民主党(平民党)=金大中新民主共和党(共和党)=金鍾泌)と個別に会談を行ない、民主党と共和党との合意を引き出すことに成功、1990年1月22日に民正・民主・共和3党の合同を宣言した。
そして合同宣言翌月の2月9日に合党大会を開催、民主自由党が正式に発足した。
「世界秩序の再編の中で、多くの国々が自己改革の本流の中に置かれて現実は、我々の政治が創造的改革によって新しく生まれ変わることを要求しており、清新な国民政党の登場こそこのような要求に呼応する道であることを固く信ずる」と宣言し、五項目からなる綱領を採択した。
5月9日に全党大会を開催、総裁に盧泰愚、代表最高委員に金泳三を選出した。
民自党の結成理由として、3党共同宣言文の中で①これまでの4党体制では内外の挑戦に効率的に対処し、国の明るい未来を開拓することが出来ない。
②経済的危機と当面する国家的課題を効率的に解決し、民主主義発展の課題を完遂するためには、広範な国民的支持基盤の上に立った新しい政治構造をもたなければならない、③今は統一祖国の将来を見越し、民族統合に備える政治体を構築しないければならない、④以上このような時代的要請にこたえるため、我々は中道民主勢力の大同団結で大きな国民政党を誕生させ、政治的安定の上に新しい政治秩序を確立していくようにした事を挙げた。
しかし実際、民正党は国会での主導権を野党側に奪われていた上に党の支持率が上がらず次の選挙を戦えないという危機感があったこと、民主党は野党第1党の座を平民党に奪われ、次の大統領選挙における金泳三の立場が危うくなるとの判断が、共和党は野党第3党で活躍の場を制約されていた、という3者それぞれの思惑が3党合同を実現させたといえる。
3党合同による民自党結成に対し、合同の動きから疎外[1]された形となった平民党の金大中総裁は「3党合同は代議政治に対するクーデターである」と猛烈に批判して対決姿勢を強めた。
楽に探せる!楽ワード

ページ(1/6)
次ページ

ページTOP▲
Weblio辞書辞典
「民主自由党_(韓国)」の記述に関する著作権




ランダム表示|登録辞書一覧
Weblio辞書辞典

お気に入りに登録
友達にも教える
「民主自由党_(韓国)」の記述に関するお問合せ

Weblio辞書辞典|ヘルプ|お問合せ
©2012Weblio