橋瑁の解説頁です。 Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>橋瑁>橋瑁の1ページ目

橋瑁とは?



ウィキペディア
橋瑁
後漢 東郡太守
出生生年不詳豫州梁国睢陽県
死去初平2年(191年)酸棗
ピン音Qiao Mao
元偉
主君{{{主君}}}

橋 瑁(きょう ぼう、Qiao Mao ? - 初平2年(191年))は、後漢末期の政治家(東郡太守)。
字は元偉
文献によっては喬瑁と記されていることもある。
後漢書』、『三国志』にその名が散見される。
生涯

豫州梁国睢陽県の出身。
武帝紀の引く『英雄記』によると、太尉であった橋玄の一族とされるが、子の世代にあたる人物であるというのみで、続柄は明らかではない。兗州刺史を務めたことがあり、威厳と恩情を兼ね備えていたとされる。
やがて東郡太守となる。
永漢元年(189年大将軍何進十常侍と対立すると、各地の軍を呼び寄せようとし、橋瑁にもその命令が下り、橋瑁は成皋の地に軍を駐屯させた(『後漢書』)。
何進と十常侍が共に滅び、董卓が朝廷の実権を握ると、橋瑁は三公の公文書を偽造し、董卓に対する挙兵を呼びかける檄文を作った(『後漢書』)。
初平元年(190年)、董卓に反対する関東の諸侯が挙兵する(反董卓連合)と、橋瑁は孔伷劉岱張邈張超袁遺と共に参戦している。
もっとも、臧洪伝によると、当初挙兵したのは橋瑁達である。
注目の情報

ページ(1/2)
次ページ

ページTOP▲
Weblio辞書辞典
「橋瑁」の記述に関する著作権




ランダム表示|登録辞書一覧
Weblio辞書辞典

お気に入りに登録
友達にも教える
「橋瑁」の記述に関するお問合せ

Weblio辞書辞典|ヘルプ|お問合せ
©2012Weblio