楊弘_(後漢)の解説頁です。 Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>楊弘_(後漢)

楊弘_(後漢)とは?



ウィキペディア
楊 弘(よう こう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の政治家。
略歴
姓名楊弘
時代後漢時代
生没年〔不詳〕
字・別号〔不詳〕
出身地〔不詳〕
職官長史
爵位・号等-
陣営・所属等袁術
家族・一族〔不詳〕

袁術配下の幕僚で長史。
史実における具体的事跡は不明。建安4年(199年)6月、袁術が没落して病死すると、楊弘は大将軍張勲と共に孫策を頼ろうとしたが、道中で廬江太守劉勲の待ち伏せにより捕虜にされた。
その後の楊弘の行方は不明。
物語中の楊弘

小説『三国志演義』では、「楊大将」という人名で登場するが、由来は不明。
袁術が孫策を討とうとすると、楊大将は、先に小沛の劉備を討伐すべきと主張し、徐州呂布に兵糧を送って懐柔するよう進言した。
しかし、呂布はその懐柔に乗らず、小沛を攻撃した袁術の部将紀霊と劉備を調停してしまう。
後に寿春へ、曹操らの連合軍が攻め込んでくると、楊大将は寿春を捨てて淮南へ逃げるよう袁術に薦め、自分もこれに同行する。
なお、寿春には李豊ら4将が残留し、曹操に敗れて残らず処刑された。
その後、楊大将は『演義』から姿を消す。
参考文献

(出典:Wikipedia 2010/11/24 15:21 UTC 版)

ページTOP▲

楽に探せる!楽ワード


ページTOP▲
Weblio辞書辞典
「楊弘_(後漢)」の記述に関する著作権




ランダム表示|登録辞書一覧
Weblio辞書辞典

お気に入りに登録
友達にも教える
「楊弘_(後漢)」の記述に関するお問合せ

Weblio辞書辞典|ヘルプ|お問合せ
©2012Weblio