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栃ノ海晃嘉とは?




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1 来歴
2 主な成績
2.1 通算成績
2.2 各段優勝
2.3 三賞・金星
2.4 場所別成績
3 改名歴
4 年寄変遷
5 脚注
6 関連項目

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来歴

1955年(昭和30年)8月、千代の山栃錦一行が青森県大鰐町を訪れた際、既に春日野部屋(師匠は第27代横綱・栃木山)に入門していた中学時代の同級生・須藤良一(後の前頭一乃矢)に出会い力士への憧れが募った。
直ちに若者頭・津軽海と栃錦を通して春日野部屋を紹介してもらい、弘前商業高校(現・弘前実業高校)を3年生の夏で中退して春日野部屋に入門。
同年9月場所、本名の「花田」で初土俵を踏んだ。
ちなみに高校時代は2年生まで野球部で4番を打ち、3年生から相撲部に転部したという。
1960年(昭和35年)3月場所で新入幕を果たすが、勝ち越しは記録できず2場所で陥落。
同年9月場所、四股名を「栃ノ海」と改めて再入幕し、10勝5敗の好成績を挙げた。1961年(昭和36年)5月場所2日目には横綱朝潮から金星を挙げ、翌7月場所では小結に昇進し11勝を挙げ、翌場所関脇に昇進してからは関脇の座を譲らなかった。1962年(昭和37年)5月場所では横綱柏戸に敗れたのみの14勝1敗で初の幕内最高優勝を果たし、13勝2敗の兄弟子・栃光と一緒に場所後、大関に昇進した(この場所は同門の新大関・佐田の山も13勝。
さらに12日目から栃光→栃ノ海→佐田の山の順で横綱大鵬を破り、出羽一門総掛かりで大鵬を崩した)。
1963年(昭和38年)11月場所では大鵬と柏戸をなで斬りして14勝1敗で2度目の優勝を成し遂げ、翌1964年1月場所、13勝2敗を挙げて当時横綱先陣争いといわれた佐田の山や豊山に先行して場所後横綱に昇進。
しかしこの1月場所は優勝者大鵬(15戦全勝)、次点東前頭13枚目清國(14勝1敗)であり、昇進直前場所が優勝同点でも次点でもない成績での横綱昇進には疑問の声もあった。
横綱2場所目の1964年5月場所では、13勝2敗で3度目の優勝(結局、これが最後の優勝となる)を果たした。
ところがその後、椎間板ヘルニアを発症して坐骨神経痛となり、さらには右腕筋肉の断裂というアクシデントにも見舞われた。
これは、患部が見た目でもわかり押せば肌が直接骨に当たるほどの重傷で、力士としての致命傷になってしまった。
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