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松本清張とは?


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松本清張
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エラリー・クイーンの来日招聘

アメリカの世界的な推理作家であるエラリー・クイーンを1977年に光文社などと共同で招待し、クイーン(フレデリック・ダネイ)と対談した[62]
クィーン(フレデリック・ダネイ)との対談中、推理小説の基本的な考え方について互いに同意する一方、意見を対立させる局面もあった。
クィーンは推理小説の世界ベスト10として、イギリスの推理作家トマス・バークによる「オッターモール氏の手」をあげたが、清張は「意外性のみを狙ったもので動機皆無、普遍性がない」と主張し、論争になった[63]
なお、アメリカ版エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンにおいて、初めて掲載された日本人推理作家の作品は、清張の『地方紙を買う女』である。
クィーンと清張との縁はその後も続いた。
クィーンは1967年に起こったジム・トンプソンの失踪事件に関心を持っており、すでに『熱い絹』の執筆に着手していた清張と関心を共有することになった[64]
清張やクィーンの作品を取り上げたテレビドラマ「傑作推理劇場」では、冒頭でクィーンが前説を述べる趣向が取られた。
のちに清張はフランス世界推理作家会議で「あなたの作風はクィーンに似ていると思うが?」と質問された際、明確に否定している[65]

「霧プロダクション」設立

清張は映画・テレビの企画制作を目的として、映画監督の野村芳太郎らと1978年11月に「霧プロダクション」を設立、代表取締役に就任した。
同プロダクションは1984年まで続いた[66]
同プロダクションの設立に清張が熱意を示したのは、『黒地の絵』の映画化を強く望んでいたからだとされており、発足前の仮称は「黒地の絵プロダクション」とも報じられていた[67]
1978年に2度目のイラン訪問、NHKの取材に同行し、翌年『ペルセポリスから飛鳥へ』(日本放送出版協会)を書き下ろし刊行した。
取材中には、大地震とパフラヴィー朝の国王退陣を求める反政府暴動に遭遇した。
同1978年、 第29回NHK放送文化賞受賞。
1980年代

1981年の「正倉院展」(東京国立博物館)に際して、東京・京都で開かれたシンポジウムに参加した[68]
この1981年頃には、鑑真をテーマにした歴史小説を『群像』に連載する構想を持っていた[69]
1982年3月30日、「労組潰し」とも評された国鉄問題について「国鉄の自主再建を願う7人委員会」が発足し、会員として参加した。
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