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松本清張とは?
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松本清張
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歴史への関心
1970年代以降には、伝奇小説の大作『西海道談綺』や、奈良時代に材をとった歴史小説『眩人』が書かれた。
また邪馬台国ブームが、1970年前後に大きく盛り上がったことを背景に、古代史をめぐる対談・座談会等が、清張を交えてたびたび実施された。
清張は、井上光貞東京大学文学部教授や西嶋定生東京大学文学部教授、上田正昭京都大学教養部教授(役職はいずれも当時)といった、学界の第一人者とも交流した[54]。
清張の活動は当時の古代史ブームの先導の一つとなった。
その関心は日本に留まらず、アジア・中東・ヨーロッパなど広い範囲に及び[55]、のちにベトナム古代文化視察団(団員は騎馬民族征服王朝説で知られる江上波夫東京大学名誉教授など)の団長を務めた。
『古代史疑』以降、古代史に関する発言は晩年まで続いた。邪馬台国論争では九州説の立場をとっている。
1974年に高木彬光が推理小説『邪馬台国の秘密』を発表した際、古代史に関する記述をめぐり清張との間で論争が行われた[56]。 創共協定
池田大作創価学会会長と宮本顕治日本共産党委員長の会談が1974年12月に清張邸で実施され、10年間互いの存在を認め相互に干渉しないことを約束する創共協定(共創協定とも言う)が結ばれていたことが、清張はその仲介役を務めていたこと(協定は公表とほぼ同時に死文化)を、1975年8月9日の東京新聞『「仲介」者の立場について-創価学会・共産党協定』[57]で発表した[58]。池田大作と清張の初対面は、 文藝春秋1968年2月号での対談[59]であり、その後も親交を続けた[60]。
文藝春秋の清張担当者であった藤井康栄によれば、清張の大ファンと言う池田大作とも、自宅が当時清張宅のすぐ近くにあった宮本顕治とも、ごく気軽に話せる関係であり、創共協定は偶然の重なりによるものであるという[61]。
1976年、毎日新聞社の全国読書世論調査で「好きな著者」の1位に。
以降没年まで8回1位。
東京新聞にて1976年1月1日から1978年7月6日まで邪馬台国期から奈良時代に至る日本古代史の通史『清張通史』を連載。
1977年の「邪馬台国シンポジウム」(博多全日空ホテル)では構成・司会者を務めた。
江波教授や井上教授が講師として参加、全国から600人以上の聴講者が集まった。
なお、西嶋教授は、邪馬台国論争では(清張に近い)九州説論者として知られていた。
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