| 菊池のいうテーマ小説の出現は、それまでの自然主義的傾向の小説、白樺派の人道主義的小説の流れと切りはなしては云えない。田山花袋らに代表される自然主義的小説は「あるがままのものをあるがままに描く」ことをモットーとしたが、それは自己の経験を中心にしたものであり、題材はきわめて狭かった。 狭いゆえに描写の深化はあったが、その深化は行き詰りにつながっていた。 (中略)自然主義的小説は人間生活の暗黒面が強調され、題材も主として女と貧乏にかぎられるようになった。 大正末期までの「私小説」は、葛西善蔵に代表されるように生活落伍者と女関係とが主題になっている。 (中略)「告白」はトルストイなどからの影響だが、その「告白」を皮相的にあるいはストイックに解釈し、または意識的に自己流に歪曲したのが大正期の私小説といえようか。 自然主義小説は、人生を観照しても、実人生に解決がない如く、小説にも解決がない。 自我を主張するが、その自我も因襲的な家族制度と社会機構に押し潰される。 かくて自然主義小説は絶望の文学となり、虚無的となる。 しかし、ここにも感傷的なロマンチシズムがあるのは見のがせない。 これが愛読者を得た理由でもある。 けれども題材が自己の経験や周囲の観察に限られているため、同じような話をくりかえして書く結果になり、マンネリズムに陥って、衰弱した。 わずかに徳田秋声や正宗白鳥などが命脈をつぐ。 その自然主義小説に反抗してあらわれたのが白樺派である。 彼らはトルストイの告白面よりも、その人道主義に共鳴した。有島武郎、武者小路実篤、志賀直哉、長与善郎など学習院卒の、貴族の子弟がそのグループだった。 (中略)白樺派の小説は、一部に熱狂的な支持者を得ても、一般からはひろい共鳴を得られなかった。 いわば、貴族のお坊ちゃんのひとりよがりの小説としてその底の浅さを云われ、嘲笑された。 そこに登場したのが、菊池や芥川のテーマ小説である。 人間の暗黒面、無解決、いつはじまっていつ終わったかわからないような叙述、小説の興味を抹殺したような平板、単調な構成の自然主義小説や私小説類、もしくはそれとは対蹠的だが白樺派の感傷的な人道主義小説または楽天的な理想小説に不満だった読者は、明快で理知的な人生裁断を前面に押し出した菊池の小説を歓迎した。 菊池の小説は「自我」がテーマになっている。 自然主義小説にも自我はあったが、それは内在的なものとしてしか扱われていなかった。 菊池はそれを正面に押し出した。 (中略)彼はその自我をテーマに、現代小説にしても歴史小説にしても、存分に面白い物語をつくりあげた |