松本清張の解説頁です。 Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>松本清張>松本清張の18ページ目

松本清張とは?


スポンサーリンク
松本清張おんなシリーズが無料で
見放題。今すぐPCで観れる16日間無料キャンペーン中/U-NEXT
松本清張
古本通販/ネットオフ。最大98%オフ!さらにTポイント可


菊池のいうテーマ小説の出現は、それまでの自然主義的傾向の小説、白樺派の人道主義的小説の流れと切りはなしては云えない。田山花袋らに代表される自然主義的小説は「あるがままのものをあるがままに描く」ことをモットーとしたが、それは自己の経験を中心にしたものであり、題材はきわめて狭かった。
狭いゆえに描写の深化はあったが、その深化は行き詰りにつながっていた。
(中略)自然主義的小説は人間生活の暗黒面が強調され、題材も主として女と貧乏にかぎられるようになった。
大正末期までの「私小説」は、葛西善蔵に代表されるように生活落伍者と女関係とが主題になっている。
(中略)「告白」はトルストイなどからの影響だが、その「告白」を皮相的にあるいはストイックに解釈し、または意識的に自己流に歪曲したのが大正期の私小説といえようか。
自然主義小説は、人生を観照しても、実人生に解決がない如く、小説にも解決がない。
自我を主張するが、その自我も因襲的な家族制度と社会機構に押し潰される。
かくて自然主義小説は絶望の文学となり、虚無的となる。
しかし、ここにも感傷的なロマンチシズムがあるのは見のがせない。
これが愛読者を得た理由でもある。
けれども題材が自己の経験や周囲の観察に限られているため、同じような話をくりかえして書く結果になり、マンネリズムに陥って、衰弱した。
わずかに徳田秋声正宗白鳥などが命脈をつぐ。
その自然主義小説に反抗してあらわれたのが白樺派である。
彼らはトルストイの告白面よりも、その人道主義に共鳴した。有島武郎武者小路実篤志賀直哉長与善郎など学習院卒の、貴族の子弟がそのグループだった。
(中略)白樺派の小説は、一部に熱狂的な支持者を得ても、一般からはひろい共鳴を得られなかった。
いわば、貴族のお坊ちゃんのひとりよがりの小説としてその底の浅さを云われ、嘲笑された。
そこに登場したのが、菊池や芥川のテーマ小説である。
人間の暗黒面、無解決、いつはじまっていつ終わったかわからないような叙述、小説の興味を抹殺したような平板、単調な構成の自然主義小説や私小説類、もしくはそれとは対蹠的だが白樺派の感傷的な人道主義小説または楽天的な理想小説に不満だった読者は、明快で理知的な人生裁断を前面に押し出した菊池の小説を歓迎した。
菊池の小説は「自我」がテーマになっている。
自然主義小説にも自我はあったが、それは内在的なものとしてしか扱われていなかった。
菊池はそれを正面に押し出した。
(中略)彼はその自我をテーマに、現代小説にしても歴史小説にしても、存分に面白い物語をつくりあげた

清張の菊池作品に対する評価は、芥川龍之介や志賀直哉の作品に比べても高い。
例えば「芥川を讃美するのはよいが、芥川作品の構成の脆弱よりも、寛の鉄骨で組み立てたような構造の見事さは、もっと再評価されてよいのではなかろうか」(『随筆 黒い手帖』)、「菊池だったら文章に効果的な省略はあっても、肝要なところは手抜きなどしないで、きっちり書くだろうと思われるのである。
それは志賀と菊池の生活経験の違いから来る。
暗夜行路』の主人公は(中略)居所を転々とし、その間「放蕩」などするような自分の使う金に反省がないのみならず、社会的感覚がまったくなく、あるのは都合のいい自己だけである」[112]など。

木村毅

16 - 17歳の清張が強い感銘を受けた『小説研究十六講』について「その前から小説は好きで読んでいた。
しかし、小説を本気で勉強したり、小説家になろうとは思っていなかった。
だが、この本を読んだあと、急に小説を書いてみたい気になった。
それほどこの本は私に強い感銘を与えた」[113]といっている。
清張のこのエッセイを読んだ木村は「私のながい文学生涯において、これほど私にうれしかった文章はめったにない(中略)、若き松本清張君の訪問は、私をよろこばせ、自信をつけ、再生の思いをさせた」[114]鶴見俊輔によれば、『小説研究十六講』は、「昭和初期まで相当の影響力を持っていた」はずだが、文学者の「最初に自分の眼をひらいてくれた本のことをあまり言いたがらない習慣」ゆえに、無視されるようになったという[115]
小倉から東京へ転居した際、清張は真っ先に木村の自宅を訪問し、その後も交流を続けた。
「(清張は)会見後はいよいよ私の支持者となって、ただに『小説研究十六講』ばかりか、私の書くたくさん著作を飽きもせず渉猟して、埋没した明治史の発掘者として、文藝春秋社のどれかの雑誌に講演をして、長々と私をほめ、「えらい人」と言っている」[116]
清張の『暗い血の旋舞』に先立ち、クーデンホーフ光子の伝記を残している。
木村の死去に際して清張は「葉脈探求の人-木村毅氏と私」(『オール讀物』1979年12月号掲載、エッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録)を書き、追悼した。
同文中で清張は「それまで私は小説はよく読んでいるほうだったが、漫然とした読み方であった。
小説を解剖し、整理し、理論づけ、多くの作品を博く引いて例証し、創作の方法や文章論を尽くしたこの本に、私を眼を洗われた心地となり、それからは小説の読み方が一変した。
」「高遠な概念的文学理論も欠かせないが、必要なのは小説作法の技術的展開である。
本書にはこれが十分に盛られていた。
」「私は33歳のころまで乏しい蔵書を何度か古本屋に売ったことはあるが、この「小説研究十六講」だけは手放せず、敗色濃厚な戦局で兵隊にとられた時も、家の者にかたく保存を云いつけて、無事に還ったときの再会をたのしみにしたものだった」と述べている。
スポンサーリンク
松本清張/ヤフオク
人気商品勢ぞろい、本、雑誌の新品もたくさん!《ヤフーオークション》
清張 松本ならアマゾン
新作、話題作が勢揃い。アマゾンは常時無料配送/一部除く
楽に探せる!楽ワード

ページ(18/57)
≪前ページ | 次ページ

ページTOP▲
「松本清張」の1ページ目
Weblio辞書辞典
「松本清張」の記述に関する著作権




ランダム表示|登録辞書一覧
Weblio辞書辞典

お気に入りに登録
友達にも教える
「松本清張」の記述に関するお問合せ

Weblio辞書辞典|ヘルプ|お問合せ
©2012Weblio