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松本清張とは?
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松本清張
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歴史学者の門脇禎二と考古学者の森浩一は、対談[104]で、清張没後に進んだ三内丸山遺跡の発掘結果により清張説が否定された例もあるものの、当時の政治史中心の学界に対して、国際的な人的交流、貿易史の視点を強調したこと、あるいは朝鮮文化の影響を大きく評価する当時の研究風潮に対して、ゾロアスター教などペルシア文化の影響力を強調したことなどは、学界に大きな刺激となったこと、また清張がいる間は、学者もテレビなどでいい加減なことは言えない雰囲気があったことなどと述懐している[105]。
森鴎外
- 創作活動の初期から晩年まで、清張が間接的なものも含めて作品のモチーフとして取り挙げ続けた作家であり(『或る『小倉日記』伝』『鴎外の婢』『削除の復元』など)[106]、評伝的作品『両像・森鴎外』も執筆されている。
鴎外の作品中、清張が特に重点を置いて言及しているものは、『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』といった史伝物である。
清張は鴎外が夏目漱石よりも大人であると述べており、国文学者三好行雄との対談の中で、清張は「私は鴎外にそんなに影響を受けたとか、あるいは鴎外に私淑して、一生懸命文体なり、あるいはテーマの取り方なんかを学んだとは思いませんね。
鴎外と漱石というのを比べてみますと、大人という言葉を使えば、鴎外が漱石よりはるかに大人です。
」と語っている([107]。
対して、夏目漱石に対する清張の言及は、「批評家が『こころ』を漱石晩年の傑作のように言っているのが私には不可解です。
要するに漱石の作品は、実生活の経験がなく、書斎に閉じこもって頭で書いたものだからです」といっている[108]。
清張が鴎外に終生関心を持ち続けた動機・背景に関しては、現在でも議論が続いている[109]。
菊池寛
清張自身が影響を受けたことをしばしば表明していた。
菊池は文藝春秋の創設者であるが、清張は16・17歳から20歳過ぎまでかなり菊池の考え方に影響されたと述べ、『大島ができる話』『啓吉の誘惑』『妻の非難』『R』など、菊池寛の「啓吉もの」が自分の読書歴の古典であり、今でも文章の一部を暗記しているくらいであると清張は述べている[110]。
その作品を生活経験に裏付けられたものとして高く評価した。
清張が共鳴した菊池寛の考え方を示すものとして、「小説家たらんとする青年に与ふ」(『文芸倶楽部』1921年9月号掲載)がある。
この中で菊池は「とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、そんなものよりも、ある程度に、生活を知るといふことと、ある程度に、人生に対する考へ、所謂人生観といふべきものを、きちんと持つといふことが必要である」と述べている[111]。
文学史上における菊池寛を、清張は次のようにいっている。
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