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松本清張とは?
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松本清張
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ノンフィクション作品に加えて、中江兆民を論じた『火の虚舟』、山縣有朋を素材とする小説『象徴の設計』、大久保利通から吉田茂・鳩山一郎などを経て1980年に至る宰相論『史観・宰相論』など、主に人物を通して近現代史を再考する取り組みが続けられた。
文藝春秋は、その後も清張に近現代史を素材とした作品を書いてもらう意向を持っていた。
頓挫した文藝春秋の企画の一つとして「戦後内閣論」がある[96]。
晩年に至り、ノンフィクションから小説作品に案が変更され、『神々の乱心』の執筆が開始された[97]。 評価
日本近代史専攻の有馬学によれば、『昭和史発掘』中で清張の駆使する史料は、当時の研究者から見ても、相当な水準のブレーンがいなければ集め得ないものであったという[98]。
このため種々の憶測も生まれたが、清張は「資料の捜索蒐集は、週刊文春編集部員の藤井康栄が一人であたった」と明言している[99]。
歴史学者の成田龍一と日本文学者の小森陽一は[100]、『日本の黒い霧』と『昭和史発掘』は、清張の戦後歴史学(アカデミズム)に対する批判意識が見出せると述べている。
戦後歴史学が、権力対民衆運動の枠組みに縛られ、権力(=天皇)の問題を考察する(=天皇制は封建制の残滓であり日本の遅れの象徴という)イデオロギー構造になっていたのに対し、GHQの謀略という視点を持ち込み、また、法則性に基づいた歴史の発展(=マルクス主義)ではなく、個別ばらばらの事件を追求して背景を探るという発想自体、当時の歴史学にはなく、『日本の黒い霧』の手法が新しいものであったこと、『日本の黒い霧』は天皇をめぐる議論には触れていないため、当時の多くの歴史学者は清張の議論を軽視・無視したが、のちに清張は『昭和史発掘』でファシズムの問題に取り組み、戦後歴史学が、大政翼賛会を念頭に思想統制や治安維持法に代表される上からのファシズムを強調するパターンを取っていたのに対して、清張は下仕官や兵のレベルまで資料発掘・言及する対象を拡大し、二・二六事件で決起した青年将校やA級戦犯に戦争の全ての責任があるのではなく、国民一人一人が戦争への欲望を持ち、下からファシズムを望んでいたことを論証しようとした、と指摘している。
清張の古代史への関心は、北九州中心に各地の遺跡を歩いていた小倉在住時に培われている。
清張は「わたしの書く「歴史」ものでは、古代史と現代史関係が多く、その中間が抜けている。
人からよく訊かれることだが、これは「よく分からない」点に惹かれているからだろう。
古代史には史料が少ないために、現代史は資料が多すぎるがその価値が定まっていないために、どちらも空白の部分がある。
「歴史」はやはり推理の愉しさがなくてはならない」と述べている[101]。
考古学は創作の初期から重要なモチーフとなり、『断碑』『石の骨』などの短編が書かれた。 評価
清張の提示した仮説に関しては、その後の考古学研究や歴史学研究の成果により、現在では乗り越えられたものもある。
しかし、一般の広い関心を喚起し学界に刺激を与えたとして、その着想を高く評価する学界研究者も存在している。井上光貞や上田正昭は、清張が『古代史疑』を発表した時点でこれに高い評価を与えている。[102]。
この対談にも参加した考古学者の佐原真はのちに、清張の考えそのものには従えないところも多いが、研究者には到底思いもつかないその発想・着想は大いに刺激的であると評している。
また清張の古代史論は基本的に文献からの学習に基づいていたが、普通の研究者があまり着目しない明治期以来の古い研究史をも熟読しており、学史の学習が清張を強くしたのではないか、とその特色を分析している[103]。
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