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李斯とは?


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紀元前208年、李斯は右丞相霍去疾と将軍馮劫と共に阿房宮の造営などの圧迫政策を止めるように二世皇帝に告げたが断られ、霍去疾と馮劫は自害した。
それからも再三二世皇帝に申し入れをしたが、かえって二世皇帝の怒りを買い趙高に讒言され捕らえれ、趙高に執拗な拷問を受けた。
拷問に耐えられず趙高が捏(で)っち上げた罪(楚の項梁の軍勢に討ち取られた李斯の長男で三川郡の太守の李由が生前楚軍と内通していたという罪)を認めてしまい、市で腰斬に処された。
その時に李斯は共に曳き立てられた次男(名は不詳)に対して「わしは以前にお前と故郷の上蔡で赤い猟犬を連れて来て、兎狩りをよくやっておったが、またやりたい夢はもう適わんのう…」と無念そうに述べたという。
やがて李斯の一族は全て殺された。
なお李斯の息子は始皇帝の皇女を娶り、彼の娘は始皇帝の公子に嫁いでいたと伝わる。
李斯は法家理論の完成者韓非に対して、法家の実務の完成者とされる。
李斯は韓非を謀殺した事や偽詔で扶蘇を殺した事、他にも儒者を徹底的に弾圧した焚書坑儒に深く関わったため、後世の評判は非常に悪いが、秦の中国統一に置いて最も大きな役割を果たしていた。
司馬遷も、史記において李斯が道を誤らなければその功績は周公、召公に比肩したであろうとしている。
関連事項
史料

(出典:Wikipedia 2011/05/26 11:10 UTC 版)

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