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新羅とは?


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に建てられた広開土王碑の第三面二行に「新羅寐錦」とあり、中原高句麗碑では、高句麗を「大王」として新羅王を「東夷之寐錦」とされていることから、「寐錦」は、新羅の固有の君主号ともいわれる[21]法興王11年(524年)の建立とされる蔚珍鳳坪碑法興王は「寐錦王」として現れている。
また、同時に連なっている高官に「葛文王」の表記が見られることから、6世紀初頭当時の新羅が絶対的な「王」による一元的な王権の支配下にあったわけではなく、寐錦王と葛文王という二つの権力の並存であったとも考えられている[22]
なお、法興王の前代の智証麻立干の時代に国号を新羅として君主号を王に定めている[15]
 第6代新羅王の祇摩尼師今の時代
 大甑山城(釜山広域市東莱区)を築いた。
同年4月に倭人が東部海岸に侵入した[15]
 翌年に倭国と講和した[15]
 第8代新羅王の阿達羅尼師今の時代
 158年、倭人が来訪する[15]
 第9代新羅王の伐休尼師今の時代
 倭人が飢饉に見舞われ、食を求めて1千余人が新羅に流入した[15]
 第10代王奈解尼師今 の時代
 倭人が国境を犯す[15]
奈解王は将軍利音に反撃させた。
 倭人が東部国境に侵入[15]
同7月、将軍の昔于老が沙道で倭軍を撃退、倭人の兵船を焼き払う。
 第12代王沾解尼師今の時代
 倭人が于老を殺害[15]
 第14代の王儒礼尼師今の時代
 天皇は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)、的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)を加羅に遣わした。
天皇は精兵を授けて、「襲津彦が帰らないのは、きっと新羅が邪魔をしているからだ。
お前達は速やかに赴いて新羅を撃ちその道を開け。
」と命じた。
木菟宿禰らは精兵を進めて新羅の国境に臨んだ。
新羅王は恐れて、その罪に服した。[23][16]
 倭人が一礼部[24]に来たり、集落に放火し、1千人を捕虜にして立ち去った[15]
 倭兵が沙道城(慶尚北道浦項市)を陥落させようとしたので一吉飡の大谷に命じて救援させたが、倭軍が攻略した[15]
 倭兵が長峯城を攻略した[15]

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