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徳川御三家とは?


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徳川御三家
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徳川御三家(とくがわごさんけ)は、江戸時代において徳川氏のうち徳川将軍家に次ぐ地位を持っていた3家のこと。
単に御三家(ごさんけ)とも呼ばれる。

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1 御三家
2 概要
3 御三家の一族・家臣
4 脚注
5 関連項目

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御三家
  1. 尾張徳川家(尾張家、尾張藩) - 始祖:徳川義直徳川家康9男)
  2. 紀州徳川家(紀州家、紀州藩) - 始祖:徳川頼宣(徳川家康10男)
  3. 水戸徳川家(水戸家、水戸藩) - 始祖:徳川頼房(徳川家康11男)

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概要

御三家は親藩(一門)のうちで最高位にあり、将軍家や御三卿とともに徳川姓を名乗ることや三つ葉葵の家紋使用が許された。
宗家(将軍家)を補佐する役目にあるとも言われているが、制度・役職として定められたものではない。
元は、宗家の後嗣が絶えた時に備え、家康が宗家存続のために遺したものであるとも言われる。
水戸家は頼房が駿河家断絶後の1636年(寛永13年)に徳川を賜姓された家であり、他の2家よりも官位・官職の点では下ではあるが、朝廷に対して次期将軍家の奏聞をし、また、江戸常勤であることなどから五代目綱吉のころから御三家と呼ばれるようになった。
将軍家に後嗣が絶えた時は、尾張家か紀州家から養子を出す」ことになっており、8代将軍吉宗から14代将軍家茂までは紀州家の血筋である。
御三家同士、特に尾張家と紀州家の間には将軍職の継承を巡って競争意識があり、紀州家出身の吉宗と尾張家当主徳川宗春の間には吉宗の毒殺疑惑があり確執があったとされている。
なお最後の15代将軍慶喜は水戸家出身だが、御三卿の一橋徳川家への養子を経て将軍家を継承した。
江戸時代初期には、徳川将軍家である徳川宗家に尾張徳川家と紀州徳川家を加えた三家を御三家と呼ぶこともあり、また尾張家、紀州家に駿河徳川家徳川忠長徳川秀忠の3男、松平姓とも)を加えた3つの大納言家(水戸家は中納言家)を指して御三家という場合もあり、水戸家は尾張・紀州と較べるとやや家格が劣ると見られていた。
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