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弁論部とは?
ウィキペディア目次へ弁論部(べんろんぶ)は、弁論、ディベートを活動内容とした大学、高等学校、中学校のサークル。
本項では主に大学弁論部に関して解説する。目次
1 名称
2 概要
3 主な活動
4 大学弁論部
5 全関東学生雄弁連盟
6 高等学校弁論部(中学校弁論部)
7 外部リンク
8 関連項目
弁論部の名称には、学校ごとに独自性があり、弁論部、雄弁会、雄弁部、講演部、辞達学会、言道部など様々である。
マスコミ研究、政治研究、文化的研究発表などの活動をする新設の団体が雄弁会を呼称する例もある。
また法政大学の志雄会のように弁論部・雄弁会を連想させる名称の団体もあるが、これらは次項で解説する弁論部とは異なる活動をしている。
弁論・ディベートは、古代ギリシア・ローマ以来、欧米では民主主義の素養をなす重要な教育手段と考えられており、日本では、明治維新以後の自由民権運動とともに発達し、関東を中心とした各教育機関において、相次いで弁論部が設立された。
この中には、1901年創設の中央大学辞達学会、1902年創設の早稲田大学雄弁会などのように、100年以上の伝統を持つ大学弁論部もある。
ちなみに、これら弁論部の演説原稿が散逸するのを防ぐため、当時東京帝国大学首席書記であった野間清治は、1909年に大日本雄辯會を設立し、翌年には弁論雑誌である「雄辯」を出版した。
この大日本雄辯會は、後に日本最大の出版社「講談社」となる。
弁論部は、1960年代頃までは、ほとんどの有名大学に存在する有力な学生サークルであった。
多くの著名人を輩出し、とりわけ政治分野では、一勢力を築いた早稲田大学雄弁会に見られるように政治家を多く輩出した。
当時の弁論部は、ひとつのサークルというよりは、サークル集合体ともいえるものであり、政治・経済・法律・歴史・思想・哲学・マスコミなど、現在では独立したサークルとして存在する各種の研究会が組織に組み込まれていた例もあった。
そのため大学によっては弁論部の構成員は100名を越えていた例も珍しくなかった。
1960年後半の学園紛争の影響で多くの弁論部が消滅した。
ただし、消滅した弁論部の一部にはその後に再興された例もある。1990年代後半から現在にかけては、平成以降の世相や学生の志向性の変質、さらにはサークル集合体であった弁論部から各種研究会が独立していくなどの傾向により、弁論部の人口は減少していった。
また2001年以降には後述する全関東学生雄弁連盟の停会も影響し、現在までに多くの弁論部が廃部や休部することとなった。
現在、従前通りの活動を行うサークルがある反面、活動の内容をディベートに特化したサークルや、弁論大会などの活動から撤退して、ジャーナリズム研究や学術研究に方向性を変質するサークルもある。
その活動の変化にともない団体の名称を弁論部からディベートや学術系のサークルの名称に変更する例もある。
その一方で、そのため活動内容の中心が旧来の弁論部とは異なるサークルもあるが、各種の都合上、名称を変更しない例もある。
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