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年貢とは?




室町時代に入ると、貨幣経済が一層進展し、年貢の銭納・代銭納などの銭貨による年貢納入が畿内を中心に広く普及するようになった。
また、荘官や地頭が経費や輸送費の転嫁あるいは自己の得分を増やすために交分口米などの名目で各種の付加税を徴収した。
安土桃山時代に実施された太閤検地により、一つの土地に対する重層的な支配・権利関係がほぼ全て解消された。
一つの土地の耕作者がその土地の唯一の権利者となり、土地の生産力は米の見込生産量である石高で計られることとなった。
年貢については、石高を村落全体で集計した村高(むらだか)に応じた額が、村の年貢量とされ、年貢納入は村落が一括納入の義務を負う村請(むらうけ)の形態が採用された。江戸時代になっても、太閤検地による村落支配体制はほぼそのまま継承され、村請制がとられた。
年貢徴収は田を視察してその年の収穫量を見込んで毎年ごとに年貢率を決定する検見法(けみほう)を採用していたが、年によって収入が大きく変動するリスクを負っていたことから、江戸時代中期頃になると、豊作・不作にかかわらず一定の年貢率による定免法(じょうめんほう)が採られるようになった。
だが、例外も存在した。
米が取れない地域の一部では、畑地に対する特殊な年貢賦課方法である畑方免の採用や商品作物等の売却代金をもって他所から米を購入して納税用の年貢に充てるという買納制が例外的に認められていた。
だが、江戸時代中期以後商品作物の生産が広まってくると、都市周辺部の農村など、本来は米の生産が可能な地域においてもなし崩しに買納制が行われていき、江戸幕府さえもが事実上の黙認政策を採らざるを得なくなった。
1873年明治6年)の地租改正により、年貢は廃止されることとなる。
しかし、その後も小作料を年貢と呼ぶ慣習が残った。
その他

日本語では、物事を諦めなくてはならない時のことを「年貢の納め時」という。
何とかして年貢納入を回避しようと、庶民が必死に努力していたことを物語っている。
関連項目

(出典:Wikipedia 2012/05/13 01:29 UTC 版)

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