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平住専安とは?


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平住 専安(ひらずみ せんあん、生年不詳 - 享保19年8月7日1734年9月4日))は、元禄年間から宝永年間にかけて伊予吉田藩伊達氏、現・愛媛県宇和島市吉田町)にて御殿医を勤めた儒医で、儒学者朱子学者(崎門学脈(山崎闇斎)、浅見絅齋-山本復斎門下)、本草学者でもあった。
名は「周道」。
字は「専安」。
号は「専庵」、「専菴」、「建春山人」、「橘墩」、「橘館」、「静斎」、「季直」と称した。
家督を譲り隠居の身となった晩年、正徳年間から享保年間にかけては生来の好奇心からか、経済、文化、情報が発達した大坂(摂州大阪北久宝寺町三丁目)に移り住んだ。
そこで医を開業して生計を立て、諸生に学問を教授しながら多くの書を著した。
著書はおもに儒学や医学の書であるが、中には軍書、歴史書と言ったものもあり、広く学問を学び、独特の学識を持ち合わせた人物であったことを物語る。
また、能書家という一面も垣間見える。
平住専安の享年は不詳だが、『分類故事要語』(正徳4年・1714年刊)の村田通信による序文に、「静斎(平住専安)」の事を「靜翁」との記述が有り、発刊の20年後に没していることから、かなりの長寿であったと思われる。
享保19年8月7日(1734年9月4日)死去。
享年不詳。
法名は肘方軒元廣泰翁居士。
墓所は愛媛県宇和島市吉田町の玉鳳山大乗寺[1]
著書

 分類故事要語』(ぶんるいこじようご)
 中国の故事をまとめた書。
 本書は、読書好きの専安が漢籍の書を読む傍ら、目に留まった文章に和解を加えて書き溜めていたものを書肆に乞われ整理して著した。
刊年の分かる専安の著書として最初のものと言われている。
 
 正徳4年(1714年)刊、十巻+附録一巻十冊。
「静斎、橘墩の印」名義。
 前々太平記』(ぜんぜんたいへいき)[2]
 奈良時代から平安時代前期までの歴史をあつかった軍記物語
 本書は、平安時代中、後期に起きた合戦、内紛を描いた、『前太平記』(天和元年(1681年))の前史で、聖武天皇の即位(724年)から、醍醐天皇の治世(897年-930年)までを一事件ごとの物語を一条とし、その集大成として146条にて成り立っている。
本書の特徴として、『伊勢物語』や『源氏物語』の記述に熱心である事、仏教の記述が多い事、仏教、神教、儒教の三教いずれにも偏らない啓蒙書としての立場をとっている事があげられる。
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