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宝飯郡(ほいぐん、ほいのこおり)は、愛知県東部、旧三河国にあった郡。2010年平成22年)2月1日、小坂井町豊川市と合併したことにより消滅した。
歴史

7世紀後半に、三川国穂評(ほのこほり)、8世紀の律令制以降は、寶飫(ほお)郡である。
さらに、寶飯(ほい)郡と誤記され、現在の宝飯郡に至る。
10世紀までは、設楽郡域も宝飯郡であった。
三河国国府一宮砥鹿神社)・総社国分寺国分尼寺は宝飯郡にあった。
これらは現在の豊川市にあたる。東三河では、飽海評(渥美郡)と並んで、穂評(宝飯郡)は古くから設置されている。
中世では、支配者であった長山一色城主の一色時家が、大沢城波多野全慶(時政)に討たれ、宝飯郡における戦国時代が幕を開ける。
その波多野全慶を討ち果たした牧野古白の後裔にあたる牧野城牛久保城牧野家などの牛久保六騎と、西部山間部には長沢城長沢松平家(以上、現豊川市)、豊川下流域には伊奈城主本多彦八郎家(平八郎家の弟筋)(現豊川市小坂井地区)、南西の海岸部では上ノ郷城鵜殿氏(現蒲郡市)などが勢力を保持した地域。
やがて徳川家康今川氏の支配力を排除するが、その家康も関東へ移封され、吉田城に配された池田輝政の支配下に入った時期もある。
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