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女流棋士_(囲碁)とは?



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女流棋士(じょりゅうきし)とは女性のプロ棋士の事。
この項目では、囲碁の女流棋士について解説する。
女流棋士は男女混合の一般棋戦に参加すると同時に、女流しか参加できない女流棋戦に参加することができる。

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1 制度
2 歴史
3 女流の棋戦
3.1 国内棋戦
3.2 国際棋戦
4 主な女流棋士
5 女流棋士の実力
6 参考文献

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制度

日本棋院の場合、入段時には年1名から2名の女流特別採用枠がある(2010年現在まで)。関西棋院では、定員は示されていないものの、同様の制度及び研修棋士制度での優遇がある。
これは囲碁の一般への普及を考慮した制度である。
一般採用枠で入段したのは、宮崎志摩子桑原陽子加藤啓子謝依旻の4名。
女流特別採用で入段した者には万波佳奈万波奈穂青葉かおり梅沢由香里らTV等マスメディアで活躍する者も多いが、小林泉美らタイトル戦線で活躍する者も少なくない。
ただし囲碁では入段時の特別枠、および女流棋戦に参加できるという優遇はあるものの、それ以外の昇段規定などは男性の棋士と同じであり、段位が同じ男性棋士と同等の格と見なされる。
将棋の場合、奨励会を経由してプロ棋士になった女性が史上一人も存在せず、女性専用の組織・段制度のもとで戦っており、大きく事情が異なる(将棋の女流棋士を参照。
また、将棋にも男女混合棋戦は存在する)。

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歴史

平安時代には囲碁は女性のたしなみとされており、枕草子など古典文学にも碁を打つ女性の姿が描写されている。
しかし鎌倉期以降囲碁は男性の楽しむものという傾向が強くなる。
江戸期には太夫などが嗜む程度であったが、家元制度の整備とともに18世紀後半に初段に進んだ横関伊保、安井知得仙知の娘で三段まで進んだ安井鉚などが現れる。幕末に著された『大日本囲碁姓名録』(弘化3年)には、二段野口松、豊田源(のち三段)など七名が記されている。林家分家の林佐野は16歳で入段、その後四段まで進み、明治碁界でも方円社設立に関わるなど活躍した。
その養子である喜多文子は六段に進み(死後名誉八段を追贈)、日本棋院設立に大きな役割を果たした。
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