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太寿山忠明とは?



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太寿山 忠明(だいじゅやま ただあき、1959年4月8日 - )は、新潟県新津市(現在の新潟市秋葉区)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士
最高位は関脇
身長183cm、体重159kg。
本名は坂爪忠明(さかづめ ただあき)。
得意手は右四つ、上手投げうっちゃり
現役時のあだ名は「ムーミン」。
現在は年寄花籠

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1 来歴
2 エピソード
3 主な成績
3.1 場所別成績
4 改名歴
5 関連項目

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来歴

1975年3月場所の初土俵で、同期は同部屋の大関若嶋津井筒部屋(入門当時は君ヶ濱部屋)からやはり大関に昇進した霧島がいる。
若島津(当時)と昇進を競い、1980年1月場所の新十両、同年9月場所の新入幕とも若島津に先行した。
右四つ得意で腰が重く、新進気鋭の時期には大物喰いで関脇まで昇進。北の湖に強く、北の湖を高々と吊り上げて勝利する姿を見せ、大いに将来を嘱望された存在であった。
しかし相撲が遅いという弱点から、三役ではほとんど勝ち越すことはできなかった。平幕での張出(張出前頭)の最後の適用例になった力士でもある。立合いが綺麗で模範とされた。
1983年3月場所において休場して以降は、時に金星を挙げたりするものの勝ち越す場所も少なくなっていった。
しかし、1988年1月場所では東前頭13枚目の位置で10勝5敗と、殊勲賞を獲得した1982年9月場所以来となる久々の二桁勝利を挙げ、翌3月場所でも東前頭5枚目の位置で9勝6敗と勝ち越し、5年2ヶ月ぶりに三役に返り咲いた同年5月場所では、西小結の位置で1横綱2大関を破る活躍を見せて8勝7敗と勝ち越し、5年8ヶ月ぶりの三賞となる2回目の敢闘賞を獲得した。
1989年1月場所では6年2ヶ月ぶりの関脇への復帰も果たした。
故障が少なく、体にバンテージなどを貼っていたことはほとんどなかった。1991年5月場所中に、幕内連続10年以上(連続62場所)として巨砲と共に理事長特別表彰を受けた。
1991年5月場所に西前頭14枚目で3勝12敗と大きく負け越し、十両陥落が決定的になったために引退を表明した。
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