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夏目伸六とは?


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1 経歴
2 親族
3 著書
4 脚注

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経歴

夏目漱石夏目鏡子の二男として東京市牛込区(現在の東京都新宿区早稲田南町に生まれる。
伸六の上に姉4名と兄がいた。
漱石は、名前を「申年(さるどし)に生まれた6番目の子ども」ということで「申六」とする予定だったが、「あまりに安易な名前のつけかた」と周囲から言われ、「ではニンベンをつけて『伸』にしよう」ということで「伸六」になった。
父の死去時には数えで9歳(小学校2年生)であった。暁星小学校および同中学校を経て慶應義塾大学文学部予科に進み、同独文科中退
兄・純一同様に父が残した潤沢な印税で、ドイツを始めとするヨーロッパ各地を遊学する。
帰国後、1937年に召集を受けて日中戦争に従軍し、中国各地を転戦。
このとき同じ部隊に慶應大学の同級生の沢村三木男沢村宗十郎の四男)がいた。1940年に除隊した後、編集者ジャーナリストとして文藝春秋社に勤務。
その後、随筆家として活動し『父と母のいる風景』、「猫の墓」、そして『父・夏目漱石』の執筆を菊池寛より依頼される[1]
太平洋戦争中に再度召集されて中国大陸を転戦。
戦争末期は除隊して、再び文藝春秋社で編集の仕事に従事していた。
戦後は文藝春秋社を退社。
桜菊書院に入社し1946年から「漱石全集」を刊行。
また、1947年には「夏目漱石賞」を1回のみ実施した[2]
この「漱石全集」の刊行は1946年末に漱石の著作権が切れるための対処であったが、それまで漱石の作品を刊行していた岩波書店が反発し、1947年1月から岩波版「漱石全集」を刊行。
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